ミニ講座






                    〔焦らず 怒らず 怠らず〕


              平成23年10月度 ミニ講座     



                           平成23年10月度

       今月の岡山支部ミニ講座は、すでに浄霊力伝授を受けて「お光り」を外して

     いたのに、9月のミニ講座の時にまた外した「お光り」を掛けて浄霊していた

     人が数人いたので、覚ってもらうための内容にしています。この学びを通して、

     夜の時代から延々と続いて自分の心の奥底にシミのように身についているもの

     や、以前所属していた団体で身についている悪い癖神に対するなれ合いの姿

     などをはじめ、我と執着、慢心取違いについて理解も出来、会員の人もまた

     新たに自覚できたようです。

      責任者の講義を掲載してないので、真意は分かりづらいかも知れませんが、何度

     も読み込んで言わんとするところを理解していただければ幸いです。


     
                       神懸り宗教 (光号外  昭和二十四年五月三十日)

『(前略)

 神とは、言い換えれば完全なる人間という事である、故に

人間は努力次第で神にもなり得るのである、そうして本当の

宗教の行り方は一歩々々完全人間即ち世にいう人格完成に近

づかんとする努力の生活であらねばならない、然らば完全人

間とは如何なる意味であらうかというと真理即ち神意を骨と

し、人間生活を肉とみるのである、即ち如何なる不正にも誘

惑にも動かざる確固たる精神を内に蔵し、常に天空海濶的心

境に在って、日常の言動は融通無碍時所位に応じ何物にも拘

泥する事なく、千変万化身を処すべきである、又規律を尊

び、怠惰を嫌い、万人を愛し、人に接しては春秋の気候の快

適の如く、何事も極端に走らず、人に好感を与える事を之努

め、親切謙譲を旨とし、他人の幸福を念願し、人事を尽して

神意に任せる態の信念を以て進むべきである。

人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近

づく努力こそ、人として最尊最貴のものであり、斯の如き人

間こそ生甲斐ある真の幸福者というべきである、勿論信仰の

妙諦も是に在るので、此様な人間の集団こそ地上天国でなく

て何であろう。』






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        側近奉仕者へのメシヤ様のお言葉







   (尾西 昭生 美術館職員)

※大森氏が、萩の家で、前夜明主様がお書きになった御書を、下

敷きにした古新聞から一枚一枚はがす作業をしていた。明主様

が、そこへお通りかかられ、案内されていたお客様に、『チョッ

と失礼』と、萩の家が開いているのを見て、入って来られ、トイ

レを使われた。大森氏は、お客様に目をやると顔見知りだったの

で、出て行って、お相手をしていたが、明主様には用を済まさ

れ、玄関に出て来られて、『下駄がなおっていない』と仰った。

 大森氏は、それを聞いて、飛んで入って来て、お下駄の向きを

直した。明主様は改めてお客様を連れて行かれたが、大森氏が続

けて作業していると外からガラス障子をトントンと叩く音がして

顔を上げると、外に明主様が立っておられるのである。立って行

ってガラス障子を開けると、明主様には『さっきはあんた、神

様の試験に落第したんだよ』と仰った。あっけにとられている

大森氏を尻目に、明主様にはさっさと帰っていかれたというので

ある。

 明主様には、『私に焦点を当てなさい』と常々仰っていた。

 明主様に焦点が当たっていなかった証拠として、先ずお下駄

を直す事が出来なかった事を、神様のお試めしとされている。




   昭和29/4/28  (樋口)

 午前6時30分、ご起床遊ばす。しかし、前夜は神様のご都合で

お寝みになれず、お熱お在すご様子。7時過ぎ『頭が少し痛む』

と仰せられ、想念の御浄霊を遊ばす。(中略)吉岡庸治氏がお見

舞いに来られる。明主様は、『今後ともよい美術品は全部買い

取る。これを永久に神様のものとし、人類を楽しませる』と仰

せられる。(中略)

 側近奉仕者に対し『メシヤとして私の御神格が非常に高くな

った。これからは我を出さず素直になるように努めなくては

ご奉仕は許されなくなる』と厳しいお言葉を賜わる。また、

『これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず

想念である。お念じしなさい』と仰せられる。




   昭和29/5/1  (樋口)

 献上品に対し、今まではお菓子が届けられた場合、奥様の好物

のものがその中にあった時、先にお取りになってもよい、と明主

様はお認めになっておられたしかし、『これからは凡て私の

部屋に届け、献上の報告を終え、私が取ってから奥様に差し

上げるようにしなさい』と仰せられる。明主様のご様子はお子

の如き可愛いご様子をされる時もあるが、実にメシヤの神とし

て鋭く厳然たるご態度を示される時もあり、側近奉仕は厳粛な

気持ちでご奉仕申し上げねばと自覚を新たにする。夕食には野

菜の料理だけでなく、お肴も少しお召し上りになられる。『霊界

が転換し、これから水晶世界になるのであるから、一寸でも

間違ったことがあってはいけない』と仰せられる。




   昭和29/5/12  

 胃の具合もよくなられ、御浄化後、最も体調がよろしい御様子

で、生欠伸を連続に遊ばす。

これからはミロクの型をやる。今度(15〜17日)の教団の行

事には出られるだろう』と仰せになる。

 御浄化後、御守護御願いの電報がずっと溜まっていた。今日は

御体調がよろしいかと思い、御守護願いの報告を申し上げたとこ

ろ、『今までと違う。これからは自らが神様へ心からお詫び

と、お槌りする想念が大事なのだ』と仰せられ、お叱りを頂

く。




   昭和29/5/13

 明主様がお動きになられるお体のご様子から、体が軽く、生き

生きとした感じで、お気力がにじみ出てくるようにお見受けす

る。お手(右手)の恰好も良くおなりになられる。お食事をお召

し上りになられるお時間、量とも落ち着かれる。『想念による

新しい浄霊を発見した』と仰せられ、右の御足の裏や腰のあた

りの御浄霊を絶えまなく遊ばす。

 午後2時、瑞雲郷へお出ましになり、メシヤ会館の建設状況を

御覧遊ばす。お帰り遊ばす頃にはお疲れになり、お元気をおなく

しになる。

 明主様は、夜中、右手を持たれ、裏表と御覧遊ばされて、『随

分よくなった。形もよい』と仰せられ、よくお寝み遊ばす。




   昭和29/5/29  (樋口)

 (前略)朝、明主様は何回か掌を広げては不思議そうに御覧遊ば

される。そして『今まで気付かなかったが、こんな手の筋が出

来た』と仰せられ、掌のお手筋が指の上に向かってのびているこ

とをお示しになる。

 午前7時30分、明主様は、お側でご奉仕中の樋ロヨネ氏を呼ば

れ、御用をお命じになられたが、本人が納得できず素直に受け止

めなかった為、

『まだ我がとれぬから帰れ。また用があれば呼ぶ。それまで

よく修業せよ』『素直になる事と又、神様のことは、自分で

は出来ぬと思うのはいけない』と御教えを賜わり、咲見町仮本

部へ下る。その折、明主様より、『先頃、井上より水蓮を届けて

もらった。花の美しさを見るのを何より楽しみにしていた。井上

によろしく伝えて欲しい』との伝言を賜わり、井上氏に伝える

と、氏はその有難きお言葉に涙したという。お側奉仕は樋口氏

が下ったために、中村一人となる。午後、明主様は、瑞雲郷へお

出ましになり、メシヤ会館の建設状況をご視察遊ばす。(後略)




   昭和29/6/1

 明主様は、お部屋より、次の間(会見の間)まで4回位歩くお

稽古を遊ばす。歩き振りが一段とよくおなりになられる。明主様

は、お疲れになられると、お椅子にお掛け遊ばされ、外の景色を

御覧遊ばす。お庭に飛んで来る色々な鳥や蝶の飛び交う様子を御

覧になりながら『ただ、ぼんやりとしているのが一番いい』と仰

せられる。ご間食はお好みのものをよくお召し上り遊ばす。午前

11時、樋ロヨネ氏を咲見町仮本部より呼び戻される。明主様は樋

口氏の因縁についてお話をされ、『これからは何事でも善意に

解釈して素直にならなくてはいけない。お前は私と同じよう

に素直な気持になれ。少しでも神様にお手数をかけぬように

せよ。そしてこれからは余分なことに気を回さないように頭

を働かせることである。まごころをもって、気配り、心配り

ができぬようでは御用に使えぬ』とお教えになられた。そして

明主様には非常にお厳しく、『寸毫も間違いは許さない』と仰

せられた。




   昭和29/6/17

 メシヤ様は、『太田を呼べ』と仰せになり、その連絡を受け

て、太田氏は作業場から急ぎ駆けつける。メシヤ様は太田氏が足

袋を履いていないことに気付かれ、『メシヤの前に出るのに下

袋を履いていないとはどういうことだ。長年私の元で奉仕し

ているためにいまも同じ気持ちでいるのだろう。私がメシヤ

となった今、想念を改めて奉仕をしなければ、今後お許しに

ならなくなる』と厳しく仰せになられる。太田氏はお詫び申し

上げると共に、他の奉仕者にもメシヤ様としての受け止めを確認

する。




   昭和29/7/3   角田美代子  側近奉仕者

 角田美代子は神山荘で料理をお作りしている時、一寸した心得

違いからガスが顔面にかかり、二目と見られない程に火傷する。

 その上、前掛で顔を庇ったのがくっついて、とれなくなる。阿

部執事は角田氏を急ぎ日光殿の御神前へ連れていき、お詫びとご

守護のお願いをしてご浄霊を取り次ぐ。その一方で、他のお勝手

奉仕者も角田氏の火傷を心配し、お側奉仕の樋口氏を通してメシ

ヤ様にご守護をお願いしてはと、使いの者が観山亭へ行く。樋口

氏を通してメシヤ様にご守護をお願い申し上げる。程なく激しい

痛みがおさまる。翌朝起きてみると、やけどのあとはすっきりと

直り、前よリ顔の膚がきれいになっていた。メシヤ様に角田は

「私のように罪深い者がご祈願とご浄霊によりやけどのご浄

化をこのようにご守護を頂きました。このご浄化で前よリ綺

麗にならせて頂きました」とご報告を申し上げると『これが唯

一の見本だよ。これからは祈願が第一である』と仰せられる。

『それから"私の様なものが"ということは、これは大いなる

間違いである』とお叱り給わる。『謙虚と卑下とー緒にしては

いけない。謙虚であるべき所は謙虚たるべきだが、卑下はい

けない。“自分のような者”という事は絶対に思ったり言っ

たりしてはいけない。どんな人でも神の御子である。神様が

おつくりになったものである。“自分のような者”と卑下す

るのはまるで神様に意見するような形となる。すべて神様が

なされていることであるから自分勝手に自分を考えてはいけ

ない。またお前を使っているのはわたしだ。わたしが使う者

に“私のような者"と言えば神様は変な者を使っているという

事になるのではないか』と御教え賜わる。




   昭和29/7/5  樋□ 媛 側近奉仕者

 メシヤ様は聖地内を御散策の予定であらせられたが、雨のため

中止遊ばす。メシヤ様は、樋口氏を呼ばれ、『部屋に活けてあ

る山百合の匂いがあまりにも強いので捨てて来なさい』と仰せ

られる。捨て場所までご指示になられたので「ハイ、畏まいりま

した」とご返事申し上げる。お花を持ってお勝手まて来たとこ

ろ、奥様にお会いする。「その花どうするの」と仰言ったので、

「捨てに行くところです」と申し上げる。「チャンと活けてある

から神山荘で使う」と仰言られたため、「お願いします」と申し

上げ、お勝手にお花をおいてお部屋に戻る。メシヤ様は奥様との

会話が聞こえるはずがないのに、『今の花はどうした?』と仰

せられる。樋口氏は吃驚し、ありのままに「実は奥様が神山荘の

方であの花をお使いになる、とおっしやったので、お勝手に置い

てまいりました」と申し上げる。するとメシヤ様はすごくお叱り

になられ、『私のすることは塵一つ、紙屑一つでも言った通り

しなさい』と仰せられ、直ちにお詫びし下がらせて頂く。再度山

百合を捨てるべくお勝手を出、阿部執事宅の前を通る時、阿部夫

人より、「その花どうするの」と声がかかり、「捨てに行くとこ

ろです」「きれいな花ね、誰かよその人にさしあげましょう。お

いていきなさい」といわれ、あげてしまう。樋口氏は後になって

メシヤ様の仰せられた通りにしなかったことがいつまでも気掛

かりとなる。




   昭和29/7/6

 午後1時、メシヤ様は樋口氏をお呼びになり、『きのうお前が

やってたことは間違っている。咲見町へ行って修行せよ。毎

日御神書を拝読せよ。神様は厳しいから少しの間違いも邪念

も許されぬ。きっと又、ご奉仕のお許しがあるから楽しみに

修行せよ。御教えのすべては、ご讃歌にあり、これを何遍も

心をひそめて拝読すれば何が大切で、何をしなければならな

いか分かってくる』と御教え頂く。また、『お前の我の働きが

信念になっており、とても性格が固いところがある。また、

物事を決めてかかり、己の考え方で、他を振リ回すことが時

に見られる。如何に気・心配るも神意に添わねば無駄であ

る。一切を無にして、心よリ神を敬愛して生きよ。授かる幸

せ、明るき幸せ、神の慈悲に感謝して生きよ』とおさとしの言

葉賜る。更に、『水晶殿は、水晶世界の型である。水晶世界に

なれば、水晶の心にならねばならぬ。一寸の邪念があっても

いけない。一切を無にしなくてはいけない。我があっては神

意に添わない。その水晶の心となるように修行すれば、神様

より素晴らしい力が頂ける』とご垂示あらせられる。




   昭和29/7/13

 メシヤ様は、『人類救済のために余を真似よ』

『メシヤ教の教えは厳しくなり、少しの間違いも許

せない』と仰せになる。




   昭和29/7/26

 メシヤ様は、『現実の破壊と創造は日々世界各地に於て行わ

れている。将来、腰を抜かすような大きな経綸が行われる

時、天地上下は引っ繰り返るのである。その時のために少し

でも徳を積み、美しき行いをしておかなければならない。天地

が引っ繰り返る程の大浄化が起きた時は、信者でも残るのは2

割位は難しいであろう。しかし、本当に改心し、善徳を積め

ば、その大峠も易々越せるのである。昭和29年6月15日から本

当の世界歴史が始まったのである』と仰せられる。




   昭和29/11/1  太田 俊次  側近奉仕者

 この頃から明主様は、お側の奉仕者たちに『正直になれ』ということにお力をお入れ遊ばす。奉仕者がご報告申し上げる時、ちょっと言葉がつまると、『嘘を言っている』とご指摘になられた。本人としては嘘をついているわけではないが、『嘘だ』と仰せられると、余計に緊張し、どぎまぎしてしまう。次の言葉が出なかったりすると、『人間は嘘はいかん。私は嘘をつく人間は許せない。正直人間に造り直すのだ』と仰せになられる。従って奉仕者は嘘がないように努め、いい勉強になったという。この正直な人間をつくるということはご昇天まで力をお入れ遊ばす。気温が低く、お部屋の暖房のために、小林清太郎を始め奉仕者は午前2時に起床し、終日大釜で湯をわかし、ゆたんぽをいくつも用意し、お部屋に配置する。この湯わかしは明主様の御昇天の日まで続けられた。




  〔お陰話し〕 

失明より光明へ 無神論者にもこの御利益
        福島市大字田澤字荻ノ入二八  明成中教会 丹治徳雄(24)
          『地上天国』24号、昭和26(1951)年5月25日発行

 私は昭和二十四年九月六日入信させて頂いた者でございます。

入信以来戴いた尊い御利益を御報告させて頂きます。

 昨年三月頃より左眼の視力が次第に減退し、四月一日病院に行

き診て貰いましか。その時医者は少し目に傷がついたのだ、しば

らく通院すれば直きに治るとの事、それから一生懸命に通い、手

当を受けましたが一向に快く成らず、心配しておりましたが、農

業の方が日増しに忙がしく、遂に通院も疎かになり「なあに余病

が出なければ自然に治るだろう」と諦めておりました。

 ところが、五月の末となり田植の支度に忙がしく、毎日悪い目

を我慢して頑張っておりました。三十一日の夕方とうとう来るべ

き日が到来致したのでございます。


 今思い出しましても体が震えるような、一生涯忘れ得られない

日が来たのでございます。良い方の右眼に棒のように血が目の中

に流れ込むのです。何だか変だと思い目に手をやって芥かと触っ

て見ましたが何でもなく、ただ茫然としておりますと、だんだん

視力が落ちて来るのでした。そうしている内に辺りは暗闇になっ

て参ります。驚いて家に帰ろうとしましたが見えないので困って

しまいましたが、折よく牛を引いて行っておりましたので牛の手

綱に掴って家に帰り、母に訳を話して見て貰いましたが「何の変

りも無い」との事、医者といいましても遠くでどうする事も出来

ません。「なあに寝たら治るだろう。血が騒ぐんだから」と力づ

けられ、夕食も喰べず床に就きました。翌朝起きて見てもやはり

同じですので福島の病院に行って診察して貰いましたら「これは

重症だ、目では一番重い病気だ」と云われ、病名は結核性静脈周

囲炎両眼網膜出血と診断されました。もう落胆して、家へ帰って

も何も云う事が出来ず、直ぐに寝てしまいました。


 それからというものは三カ月間、病院に行っては寝、寝ては病


院へという生活に入りましたが少しも快く成らず却って悪い方に

向うばかり、もう失望落胆の極何度自殺を図った事か判りません

でしたが、また思い直しては、もう少し我慢していたら快くなる

だろうと心に鞭打って病院通いに励んでおりました。ある日、松

川の叔父が見舞に来てくれまして「松川駅の方に掌を振って病気

を治す人がいる」との事、しかし場所も名前も判然(はっき)り

せず、どうしたらよいかと迷っておりましたが、八月一日悪い目

に鞭打っての病院からの帰路訪ねる事に決心致し、汽車で松川駅

に降りました。来ては見ましたがどちらに行ってよいかも判ら

ず、一人路傍に迷っておりましたが、ふと一寸した店に入り憩ん

で聞いて見ましたところ、何とその娘さんは御守様を戴いている

人では御座いませんか、直ぐに所が判り、まだその頃丹治先生は

日本通運に勤めておられましたので、早速会社へ訪ね行き、事情

を述べまたいろいろと御話を伺いましたが、私には何だか変で

却々信じられません……開業しておられません頃ですから他に信

者も見えません。話す人も無く、今なら治った人に聞いて直ぐ信

じる方も大勢有りますが……とにかく通う事にしてしばらく通い

ました。その内先生は病院をやめて御守様を戴いて専念御縋りし

たら、と奨められましたが度胸がつかず、もし悪くなったら大

変と医者をやめる事が出来ず「科学の力と宗教の力とを並用し

たら、より早く治るのではないか」などと思い、また他人にも聞

いて見たりして「そうだ、その方が安心で良かろう」など云わ

れ、病院に一日置に通いながら嘘をついて毎日御浄霊を受けてお

りましたが、一向に快方に向かわず一カ月経ってしまいました

ので、また将来を考えては嫌になり、自殺を何度考えたか判りま

せんでした。

 そうしている内九月に入り、ある夜屋敷の人が見え法華教を奨

められ、明日一緒に行こうとの事、また家の者達も是非行けとの

話、自分はどうしたら良いか困りました。その官(ママ)座十軒屋敷

では法華教を信心している家が七軒も有り、皆でいろいろ話され

心配して下さいますので、家の者はその方を信じて云うのでした

が、自分は「今行っている光明如来様にこれから医者をやめて一

生懸命お縋りして見ますから、今少し待って下さい」と断り、九

月六日病院に行きすっかりやめて、松川に参り御教修を戴いた

のでございました。

 そうして御浄霊戴きます事一カ月足らずの、十月二日の日より

両眼が真赤になり、痛み出しまして目脂はどんどん出、三日も

先生の所へ行かれず、自分で御浄霊さして頂き、夜でも何でも一

日に何十回となく行いました。三日間というものは一睡も出来

ず、御浄霊致しておりましたところ、だんだんと痛みも薄らいで

来、薄らいで行くに連れて右眼がうっすら見えるようになって参

りました。


 ああ、その時の嬉しさ、喜びは、筆にも口にも表わせません。

ああ有難いああ有無い、ただただ有難い、の一念です。家旅中一

同が両手を合せ、跳び上るようにして喜びました。

 今まで何も見えなかったのが、人の顔が見えるようになり、新

聞が少し見えるし、また何よりも嬉しかったのは、九月三十日に

長男孝男が生れましたのですが、その子の顔も見る事が出来なか

った私が、この目ではっきりと見る事が出来た事で御座いまし

た。そうしている内に新聞も読めるし、何だか生れ変ったよう

な気が致しました。早速丹治先生の所に行き、御報告致しまし

たら御家族の方々と一緒に、ビックリして喜んでくれられまし

た。やさしい先生に胸に込み上げる熱い涙に頬を濡らした私でご

ざいました。


 何という自分は馬鹿者だった! 何故一日も早く入信して御

縋りしなかったか! また嘘を云い、あんなにも疑って、何と

も何とも申訳ございませんでした。深く深く御詫び申上げます。

洪大無辺なる光明如来様、この罪深く、穢れ多き私ごときものま

でにも普く御救いの御掌を垂れ給わりまして、まことにまことに

有難うございます。厚く厚く御礼申上げます。と心底から御詫び

申上げ、御礼申上げました次第で御座います。

 これまでというもの妻に何回云ったか判りません。私は一生こ

の世を見る事が出来無いのだ。お前は未だ若いのだから、これか

ら先一生を不幸にしたくない。家に帰ってくれと幾度頼んだ事

か、そうして何度悲しませた事でしょう。何回歎かせた事か判り

ません。それが、明主様の広大無辺なる御守護を賜りまして、こ

の開眼の喜びに預からせて頂いたのでございます。何という私は

幸福者で御座いましょう。ただ今にては右の方はいくら小さい字

でも読め、左眼は半分見えるようになり、どんな御仕事でも支障

無く出来るよう快くして戴きました。一年振りで鍬鎌とる楽し

さ、嬉れしさ、見るもの皆珍らしい位で御座います。


 明主様、有難うございました。この悦びを何と御礼申上げてよ

ろしいやら拙い筆を以ちまして表せません。ただ感激、ただた

だ感謝、厚く厚く御礼申上げます。また小林会長先生、丹治先生

に心から御礼申上げます。この上は及ばすながら、明主様の地上

天国御建設の御手足の一端しくれともさせて頂き、身命を擲たせ

て頂きたく念願申上げます。

 右過去を御詫び申上げ、御礼、御報告させて頂きますと共に、

同苦に悩んでおられる方々にこの体験を訴え、御奨め申上げる次

第でございます。








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