メシヤ教 岡山支部

水晶殿について思う事






 支部責任者のつぶやき









          水晶殿について思う事



 昨年、書き込もうと思っていましたが、中々時間が取れなくて、
年を越してしまいました。熱海、瑞雲郷に於ける水晶殿の改築につ
いて、今でも非常に残念に思うので、私の思ったことを簡単ではあ
るけれど、一言述べてみようと思います。そして、あらためて水晶
殿の意義について、考えていただく機会になれば幸いに思います。

 水晶殿が解体されたことで、又一つ大切なメシヤ様御自ら設計さ
れた建物が、この地上から消えてなくなってしまった。これをもっ
てメシヤ様が御自ら設計されたものは、熱海にはもうほとんどなく
なってしまったのではないかと思う。非常に残念な事であると言わ
ざるをえないと共に、非常に悲しい出来事である。渡辺理事長や教
主様は、メシヤ様が御自ら設計された建物に対する意識が欠如して
いるとしか思えない、この度の所業である。建物改修や地盤の改良
や補強ならいざ知らず、まるごと解体して似たようなものを新たに
建て替えるとは、甚だ呆れて言葉がない・・・。未来永劫にわたっ
て残すべき建物であるに係わらず、取り壊されてしまった・・・。

 このようにメシヤ様が御自ら設計された建物で、なくなった建物
の1つに熱海桃山の渋井総斎先生宅がある。この渋井先生のお宅に
ついては、ご子息が語った言葉があるのでここに紹介したいと思い
ます。

この家は設計から庭の完成まで、すべて教祖の指図でできあがっ
た作品である。私も当時、家の設計のことは出来上がった家を壊し
たことで、詳しく経緯が判ったのである。しかし庭のことは知らな
かった。私が救世教に奉職した昭和36、7年頃、当時造営部の庭師
である森元勲氏と知り合った。同氏は、この瑞雲郷の庭を教祖の御
指図で作られた方である。

 あるとき「渋井さん、あなたのお父さん先生は大変おもしろい方
ですね」と言われた。私は「へー、親方は父を知っているのですか
……」と言うと、「明主様がね……渋井が家を建てている。お前、
行って庭を作ってやってこい」と、細かく指で庭の図を示され「足
らないものはここから、とおっしゃられた」と聞いて吃驚したので
ある。以下「御用の人」に建築の経緯については詳しく載っている
ので引用しよう。
 熱海の家は宝山荘と同じ位に総斎の思い出は深い。この家は大
火の後、建てたもので本当は愛着が薄いはずであるが、忘れられな
い理由がある。この家は明主様の設計でこまかい所まで直接指図さ
れた家であるからである。大火後「渋井さん、貴方の家は私が設計
して建ててやる」と言われていたそうである。大火で熱海の家が焼
けて無くなった総斎は、暫く小田原に居たが、明主様のお住まいと
離れている事は不便なので、熱海に住居を求めた。桃山に土地を得
て、そこに住居を建てる事とした。そこで早速、約束通り明主様に
お願いすべく参上したところが、総斎の前に新婚の藤枝夫妻(三代
教主夫妻)が居られ、総斎のお願いと同様の新居の設計をお願いさ
れて居られた。

 ところが明主様は、「自分の家位自分で考えなさい」と言われた
という。と目の前で自分がお願いすることと同じ事でご注意を受け
ているのである。いかに約束とはいえ総斎にはお願いする事が出来
ずに帰ってきた。そして同地に家を建て御報告に参上した処、今度
は総斎が叱られた「あれ程貴方の家は私が設計し、建ててやるとい
ったのに」と、早速桃山の家にお出ましになられ、この工事を請け
負った工務店の椎野氏(明主様が指図された建築は大抵椎野工務店
の施工である。旧救世会館・水晶殿、その他)を呼ばれ直接に指図
された。ここをこの様に直せ、あすこをこの様にと、結局屋根を遺
して大部分直す事となった。私は壊している処に行って驚いた。折
角綺麗に出来上がり新築祝いをいつするのかと見に出掛けた処、屋
根を残してすべて壊している。ちょうど椎野氏も来ていて「明主様
にかかちゃたまらない」と同氏の自慢していた建築物が、一から建
て直しであった。その結果工事費は2軒分かかったと聞かされた。

 また庭師の親方が明主様から「「渋井が桃山で家を建てている、
お前行って庭を作ってやってこい」と仰言られてよく伺いました
よ。そして庭で焚き火にあたりながらいろいろな話をしましたの
が、あんないい先生はもう居ない。明主様が渋井の家の庭を作って
やれと仰言られた事がよく判る」といったのを聞いて吃驚した。確
か建築については間違いなく教祖のお指図と知っていたが、庭まで
教祖のお指図とは知らなかったのである。"
 ある意味では、この総斎の家と庭は、教祖の最後の作品かもしれ
ない。総斎もこの思い出深いこの家で70年の生涯を終える。しか
し、残念ながら、総斎の死後、他人に渡り、そしてこの記念すべき
家も焼失した。』

 というものです。
渋井先生の死後、この家で生活していた奥様は生活に困り、家を維
持できなくなり手放すことに決め、売りに出しましたが、中々買い
手が見つかりませんでした。そこで、その家を渡辺勝一は市価の半
額以下という値段で購入し、他人に倍以上の値段で売ったというこ
とです。

 奥様にしてみれば、渡辺勝一は、恩師渋井の弟子であり、師への
思い出として、また、メシヤ様御自ら設計された家でもあるため記
念として残してくれるに違いないという思いがあったと思います
が、其の思いは無残にも消されてしまいました。その上、あろうこ
とか、渡辺勝一は奥様に対して信仰者としてあるまじき振る舞いを
した直後、この土地建物を他人に購入した価格の倍以上の値段で売
却したという事です。そしてその後は、焼失してなくなったという
ことのようです。

 また、メシヤ様が御自ら設計された建物で、取り壊され建て替え
られたものに建物の1つにメシヤ会館があります。この建物につい
ては、(御教え集32号  昭和29年3月23日  春季大祭)  のお言葉とし
て、

『 二、三日前に私はメシヤ会館を見に行きました。相当廻りがぬれ
たが、足場がまだ取れないのです。しかし大体は分ります。足場も
今月一ぱいぐらいには取れるわけです。それで私が一番関心を持っ
ていたのは外郭です。ああいう建築というのは、内部は誰がやって
もよいのですが、外部が一番難かしいのです。横の幅、高さ、縦と
横、それが調和してなければいけないのです。それから縦の棒、柱
形であります。その太さ、それから出ッパリ、そういう点が全体的
にマッチして、欠点のないようにするという事が、ああいう大きい
建築の一番の焦点(シヨウテン)です。見ますと、私の思うとおり少しも
欠点がないのです。まあ大いに満足したわけです。(中略)今度のメ
シヤ会館は、ごく近代建築に宗教的の感覚を表現したというところ
に価値があるのです。昔の宗教建築というと、いろんな彫刻をおい
たり、屋根をそらせたり、細かい所に絵画的や彫刻的のものをあし
らって、いろいろして荘厳みを出したわけです。ところがメシヤ会
館は単純極まるもので、曲線を使わないで、全部直線です。ただ色
とか形で荘厳みを出したわけです。

 ですから出来上ったら建築上からの世界的問題になると思ってま
す。それで横から後の方にかけて全然窓なしの無地にしたわけです
が、これも大変な意味があるのです。前から少し横の方にだけ縦の
線で、白と鼠で調和させて、そうして横の方は非常に広い場面を白
色の無地にするという事は、一つの建築美から言って、何んと言い
ますか、新しい一つの、全体調和を破っているようで調和するとい
うところを狙ったわけのものです。普通ならどうしてもあそこに窓
をつけたいところなのです。それで、わざと窓をつけないところに
面白いところがあるのです。あれは大抵な人は窓をつければよいな
と、思うだろうし、言うだろうと思いますが、そういう訳です。
(中略)』

 とこのようにおっしゃられて、メシヤ様ご自身、非常に満足され
ておられます。
また、水晶殿については、(御教え集29号  昭和28年12月26日)の
お言葉として、

『(前略) 来年は会館と展望台の上の水晶殿が出来ますが、これが又
評判になるだろうと思ってます。おそらく世界にないです。私は前
に写真でアメリカでのガラスの家を見た事がありますが、これは円
形というわけではないので、ただ凸凹(デコボコ)したガラスの家なの
です。最近できた建築で作ったのをみましたが、三尺巾の平なガラ
スで、太い木の縁(フチ)がついて丸くなっているのです。これは大し
て珍しいやり方ではないのです。今度出来る水晶殿は六尺巾のガラ
スを曲線にして接(ツナ)ぎ合わせるのです。接ぐのもなるだけ目立た
ないように工夫するつもりです。若し間に入れるとすればジュラル
ミンか何かを入れるつもりです。それでガラスでは日が当るとチカ
チカして景色が見難いですから、プラスチックの透明なのを使うつ
もりです。それで、今度は美術館もガラスでなくプラスチックでや
るつもりです。ガラスですと、光線が当るとチカチカして、少し離
れて見ると中の品物が消されてしまうのです。近代美術館ですが、
ガラスを立てるとチカチカするから斜(ナナメ)にしてあります。見た
感じが、何んだか安ッポイような、地震の時にガラスが外れそうな
感じがします。尤もアメリカあたりの美術館はガラスは使わないそ
うですから、できるだけ巾広くしてプラスチックでやろうと思って
ます。又その方が壊れる憂(ウレイ)がないです。水晶殿も、下からの
高さから、屋根の工合も、全部私が設計しました。これはなかなか
難かしいのです。屋根は円形で平です。最初の設計よりもできるだ
け広くしました。何故と言って、随分人が来るでしょうから、百人
ぐらい入ってゆったり見れるぐらいの大きさです。道も後戻りをし
ないで見られるように工夫したのですが、いろいろな道の工合も、
なるほどと思うようにつけたつもりです。まだいろんな細かい事も
ありますが、それは出来てから見るよりしようがないです。(中
略)』
 とあります。

どちらも、メシヤ様が御自ら設計された大切な建物であり、出来
る限り後世に残す必要があった建物でしたが、メシヤ会館について
は二代様が、分厚いコンクリートで出来ていた神床背面の壁をぶち
抜いて御神殿を造った為、建物にひずみが生じて立て直すことにな
ったということでしたが、どうやらそれは・・・。また、この度の
水晶殿の改築についても・・・。

 思い返せば、五六七会の殲滅を計ると共に渋井先生の抹殺を企て
て、法難を引き起こした一派は、権力は自分達のものになったが、
金力がなかった為、五六七会の献上した土地や施設を次々売却して
は延命を図って今日まで来ているし、宗家はじめ一部の幹部はメシ
ヤ様の収集された美術品の一部を売却して資金とし、割債を購入し
たり、その美術品を秀明教会の小山さんに流したりと、色々と訳の
分からない所に金が使われたようであったらしい。

 そういう行為をした人の中に、藤○氏や吉○氏がおられますが、
藤○氏が教主補として在職中、伊豆山神社の節分祭に年男として招
かれ、豆撒きをしたことがあり、
「どうだい諸君、いつまでも国常立尊だ、天の岩戸だ、豆撒きは無
礼だ、など言っていては、時代遅れだよ」と言っていた彼でした
が、その7年後、55歳という若さで、しかも2月3日の節分の日に難
病であるヤコブ病で亡くなったということについて、読者の皆さん
はどのように判断されるでしょうか?偶然と考えますか?
 また、「教祖(明主様)の教えでは、人は救われない。」という人
物(川合)が総長を何期も務めるのですから「悲劇」というほかはあ
りません。過去に於いては、川合さんに脅されて何でも言うことを
聞く三代様の姿があったようです。
 メシヤ様が晩年に「川合は魔の働きをする」と仰せられたという
ことを書いた文書を読んだことがありますが、それが現在の世界救
世教に表れていると思います。
 そして、今や水晶殿の建替えを推し進めた渡辺さんについても、
具体的な事は言わないほうがいいと思いますが、大いに考えさせら
れますね。

 こうして見ると、信仰者として上に立つ者の人格が重要なことが
お分かりになると思います。上流が濁れば、下流が濁るのは当たり
前です。下流は上流の影響を大いに受けるので、そこに所属する信
者にも当然、霊線を通して、そういうものが流れてきています。そ
ういう所に所属しておられる方々は、こうしたことを意識しておく
ことが重要です。今、一番求められているのは、魂の覚醒でありま
す。
 心を治すのに宗教があり、夜の時代に染み付いた癖を直すのが信
仰ですから、そして立派な人間になれるように、また、人として当
たり前の事が出来るように自分作りに努力精進していくことが大切
なことであります。
 水晶殿の建替えについて、施設以外に色々と考えさせられること
が多々あります。こうした事が、皆さんの信仰を・・・自分自身を
見直す何かのきっかけになれば幸いです。








             支部責任者の雑感(思いつくままに)

 8月10日、午前11時に御神体御奉祭式並びに支部発会式を開催さ
せていただいた。その時の様子や率直な感想を簡単に書いて見た
い。

 先ず一同平伏して御神体御奉祭後、天津祝詞、善言讃辞奏上。そ
して、御浄霊、御教えと続く。

その後、体験報告責任者挨拶代表挨拶で式を終了した。


 それまで我が家では、最尊最貴の「主神」様の御神体をお迎えさ
せていただくべく、壁の塗り替えをしたり、2階のトイレを直した
り、要らないものを片付けたり処分したりと、家の霊界を整えるの
に2ヶ月余りかかってしまった。思えば、家を建って以来、ジュラ
ク壁の塗り替えはそこそこきれいであったので一度もしていなかっ
た。

 最初は壁の塗り替えも、2階だけのつもりであったが、この際だ
からとの思いから1階回りのジュラク壁の塗り替えもした。その
為、きれいに明るくなり、新たな御神体をお迎えするのにふさわし
い家となった。

また、2階のトイレの改修を考えて工務店に相談すると、新しい床
材や壁材を下さると言う事で、これもこの際だからと改修工事に踏
み切った。このようにして、新たな御神体をお迎えする準備が進ん
だのである。


 話は戻るが、祭典終了後、直会の準備の間、来られた方々は各部
屋にお掲げしていたメシヤ様の「御書」を拝観されていた。代表か
らも、参加者全員、多くの「御書」を見るのを楽しみにしておられ
るからと言われていたので、この日の為に所狭しと、お掲げ出来る
だけ「御書」を掛けるべく、折釘を打ったり額受けをつけたり準備
に余念は無かったが、「お軸」や「お額」など「御真筆」20点、複
製20点、計40点ほど展示させていただいた。もっと大きな部屋が
あればもっと展示できるのだが残念である、とはいえ、我が家の取
柄はこれ(御書)しかないから仕方が無いともいえるのである。


 このメシヤ様の「御書」は、今から13,4年前に第一号として「大
光明」が入って以来、少しずつ集まって現在に至っているのであ
る。(メシヤ様の御書を参照)

 メシヤ様の「御書」の重要性については、「メシヤ様の御書のペ
ージ」を参考にしてもらいたい。メシヤ様関連教団の信者さんに
は、複製でもいいので1点でも多くの「お軸」や「お額」を家にお
掲げしていただき、御守護を戴いてほしいと思う。複製といえど働
きは同じなので、大御光をいただき「家」の霊界を少しでも上げ、
救いの光の拠点として日々自らの魂の向上を目指し、活動ではなく
信仰の徹底を図ってもらいたいと切に思う。


 ずいぶん話は脱線したが、来られた方々と「御書」の話で盛り上
がり、時間の過ぎるのも忘れて話し込んでしまった。また、メシヤ
教の三重支部にも、本部にも多くの「御書」があるので、その近く
の方は一度訪ねていかれてはと思う。


 そうこうしているうちに直会の準備も出来、来てくださった方々
と食事をしながら懇談した。

 当日は、近隣の支部代表やメシヤ教のメンバーがお祝いに駆けつ
けて下さった。遠く東は鎌倉から、西は熊本から来てくださった。
5月に一度本部でお会いしているとはいえ、皆さんの誠に頭が下が
り、熱いものが込み上げてくる。誠のある人達である。以前所属し
ていた某教団とは大違いで、面従腹背のような人間はいない。裏表
の無い方々ばかりである。本当の岡田茂吉ファミリーというような
感じを受ける。その上、でしゃばる人が一人もいない。これもまた
大変な事である。信仰が上辺だけでなく、ちゃんと身についている
のを感じる。信仰が身についているかいないか、信仰に臭みがある
かないか、少し言葉を交わせば分かるものである。

 まさにこの日は

   ひとらしき   ひとのつどえる   しんえんは     このよからなる  ちじょうてんごく
 人らしき 人の集へる  神苑は 此世からなる 地上天国   
                       (S26. 8.25)
 とでも言った感じであった。
 色んな教団の人と会って話をした中で、一番何と言うか、頭一つ
抜けた感じのする人達であるのを感じる。話をしていても押し付け
がましい所が無く、皆自然体であり、初めて会って以来、2回目か3
回目というのに話が合い、以前からの知り合いのようで不思議であ
る。
 
 メシヤ様のお言葉に

『今の私の現在の御用は万神の働きを全部私一人でやっているの
だ。何故ならば、みんなの身魂が清まらざるために、一切はそれ迄
皆私がやっているのだ。いよいよの時初めて諸々の御用を申し付け
る。身魂の清まった者から各々の因縁によって、その人その人に、
それぞれに因縁通りの御用を申し附ける。』

また、『その人その人の長所、短所に依り、その人の御用は変る』

 と、そして、

『ですから観音様のご都合により、その時の仕事の上において誰を
使うか判らぬ。今後といえども観音様は必要があれば誰でも使う。
もし使われた人が、俺がこうであるから使われたとか、俺がどうだ
からと思うと間違いがある。

 観音様からこういうお見出しにあずかるということは、一生涯の
光栄で、それに対してはただ感謝よりほか何もない。感謝してあり
がたいと思えば後また使われる。少しでも自分がやったと思ったら
観音様はもうお使いにならぬ。

 この点は大変重大なことで、観音会がだんだん発展する上におい
ても、観音様は非常に和らかくて厳粛で、たくさんな人を呼び寄せ
ては、一人も残らずお試しになり、すぐりにすぐりこの人はという
人だけ残し、そういう人達で固めて建設されるので、実にその点は
大磐石で、ただパッと拡げない。

 世間ではよく形だけみせるようにするが、こういうやり方は非常
に観音様は嫌われる。場当りのいいある一時的の仕事などはなさら
ない。要するに真実で飾り気のないこと、人間のように衒いも何も
ない。

 本当のお試しとは、自己というものを全然みない。本当に世界人
類を救わなければならぬというやむにやまれぬ状、またこの世の中
の状態をみて、実に哀れだ、可哀相だ、見てはおれぬ、しかし人間
の力ではどうすることもできぬ、しかし観音様が観音力を揮われる
につき、その一部にも加えてもらって、そして力限りやらしてもら
うというそれだけで、そこに名誉心などがあると、反対の結果にな
る。

 こういうように、ちょっと考えが違うと、大きい違いができるこ
とになる。どこまでも自分の存在に無関心で、世の中や観音様のた
めと思うと、その人の存在は大きい存在となる。』 
               (「御講話」 昭和十年八月十一日)
 とある。

 選民意識を持つことも良くないし、選ばれた人間だとも思ってな
いが、メシヤ教に繋がる人はそれぞれ地所位こそ違えど何かを通し
て一つ抜けた人達が、因縁、系統で引き寄せられた、そうした人の
集まりがメシヤ教のような気がする。

 こう話すると、ほとんどの人は自画自賛でメシヤ教の宣伝のよう
に受け取られるが、事実は事実として、何が『真』か、何が『善』
か、見極めていただきたいと思う。その為にも、これを読んでいる
皆さんには、実際に代表なり支部責任者なりに会い、客観的にメシ
ヤ教とは何かを見極めていただきたいと思う。

 またしても話が大きくそれたが、その後、直会は帰り時間の許す
方々が残り、夕方6時を過ぎるまで、皆んな、時間の経つのを忘れ
話し合いを続けていた。本当に心許せる人達である。

 直会が終わっても尚、立ち去りがたい方も居られた由である。ま
たの機会に語り明かしたいものである。

 だらだらと長くなったが、最後に岡山支部の方針というか、思い
を伝えて終わりたい。

 昭和30年以降の教団は、2代様による大本よりの教団運営、組織
形態になっており、さらに一元化以降、組織中心のあり方になり、
最近では信者の奴隷化とまで言ってもいいような状態になってきて
いる。さらには集金マシーンのような専従者も少なくない、また浄
化するとすぐ医者に行けという有様で、薬を飲みながら浄霊すると
いう。それを社会性、今の御経綸とおっしゃる。

 メシヤ様の御教えのどこにそのような言葉があるのか?
  その事を某教団の専従者に尋ねると、「すべて明主様がやって
おられる」と言う。
 馬鹿につける薬はないとつくづく思う。
 そういう人は、下記のお歌をどう読み取るのだろうか?

 いかならん   くすりといえど  どくならぬ  ものぞなきなり   こころせよかし
如何ならむ 薬といえど 毒ならぬ ものぞなきなり 心せよかし
                       (S26.11.25)

 くすりとは  どくなりとう  ことわりを  しりてまことの  さちめぐまれしなる
 薬とは 毒なりとふ 理を 知りて真の 幸恵まれしなる   
                       (S28. 7.15)

 くすりとう  どくをのませて  いたつきを  なおすいがくの  おかしからめや
 薬とう 毒を飲ませて 病を 治す医学の 可笑しからめや  
                       (S28. 7.25)

 くすりもて  やまいをつくり  いのちまで  ちぢむるおろかさ  うたてきのよや
 薬もて 病を作り 命まで 縮むる愚かさ うたてきの世や  
                       (S28. 7.25)

 にんげんの  いのちほろぼす   おそろしき    やくどくしらす    わがおしえかも
 人間の 命滅ぼす 恐ろしき 薬毒知らす 我教えかも    
                       (S29. 3.31)

 やくどくを けすしんやくを      ひととえば わがじょうれいの  わざとこたえん
 薬毒を 消す神薬を 人問へば 吾浄霊の 業と答えん    
                       (S29. 4. 7)

 それと共に専従者は、日頃何をしているのか?、信者に何を教え
ているのか?
 お歌に

   なによりも  れいせつのみち おしゆこそ  おしえのしたる もののつとめそ
  何よりも 礼節の道 教ゆこそ 教の師たる 者の務めそ  
                       (S26. 8.25)
 とあるが、専従者は役目を、全うしているのだろうか。、はなは
だ疑問である。

 また、信者に活動ばかりさせて、自分を見つめる時間や考える時
間を奪い、信者から信仰心を抜くことが目的かと思える教団もあ
る。その教団の信者は、それが経綸だと思わされて活動する結果、
信者同士の競争意識により、いつしか信仰心や、宗教心が段々薄
れ、妬みや嫉妬の渦巻く邪心の虜に成り下がるのである。

 下記のようなお歌を読んでも、コツコツ実践しなければ何にもな
らない。また、聞き流すようでは信仰の失格者であると思う。信仰
の必要性、信者として日々積み上げていくべき事等、下記のお歌で
分かるのではないか。

しんこうの  なきひとみれば   おもうかな  くらげににたる      ほねなしびとと
信仰の なき人見れば 思うかな クラゲに似たる 骨無し人と 
                       (S25.12.25)

しんこうの  なきはほねなき    ひとならん  よきもあしきも    かぜしだいなる
信仰の なきは骨無き 人ならむ 善きも悪しきも 風次第なる 
                       (S26. 5.25)

 しんこうの しんずいこそは  れいせつを  まもるにありと   しれよまめひと
 信仰の 真髄こそは 礼節を 守るにありと 知れよ信徒   
                       (S26. 8.25)

 ものごしも  のることたまも  こころよき  ひとはかんのんぎょうの ひととなる
 物腰も 宣る言霊も こころよき 人は観音行の 人となる  
                       (S10. 5.21)

いかならん    こともこらえて へいぜんと  ほほえみたたうる   ひととなれかし
如何ならむ 事も耐へて 平然と ほほゑみ湛ふる 人となれかし
                       (S10. 5.21)

 ゆかしけれ   わがみのことを  あとにして  ひとのよかれと    ねがうこころの
 床しけれ 我身の事を 後にして 他人の良かれと 希ふ心の 
                       (S11. 4.11)

 しんこうを ただひとくちに  ちぢむれば   まこといちじに  つくるなりけり
 信仰を ただ一口に ちぢむれば 誠一字に 尽くるなりけり 
                       (S24.12.20)


 そういう訳で、当支部としては、そういう教団の逆の活動、一言
で言えば「世界メシヤ教」の復興、具体的に言えば、一人一人に信
仰心、宗教心を芽生えさせ、神を認め、感謝報恩を持ち、昼の時代
に生存なしうる魂の持ち主として、個人、家族が日々楽しく生活で
きるような環境を作れるように、メシヤ様の御心を求め、御教えに
沿ったあり方で、悩みや問題の解決の場として支部を活用していた
だきたいと思う。下記のようなお歌を心の拠り所として・・・。

しょうじきの ひとつくらんと  われはいま かみのひかりを まくばりてけり
 正直の 人造らんと 吾は今 神の光を 間配りてけり    
                       (S24.12.20)

  ひとによく   おもわれたしと  おもうひと  おおかたかみを    わすれがちなる
 人に良く 思はれたしと おもう人 大方神を 忘れがちなる 
                          (S24.12.20)

かみのふみに  したしみにつつ         すすむみは    まよいのみちに     ふみいることなき
神の書に 親しみにつつ 進む身は 迷ひの道に 踏み入る事なき
                       (S26.12.25)

 いがくひりょう むしんのさんだい  めいしんを たださるるらん       かみのみわざに
 医学肥料 無神の三大 迷信を 正さるるらん 神の御業に  
                        (S27. 2. 4)

 いがくめいしん   ひりょうめいしんの  このふたつ うちやぶらねば   よはついえなん
 医学迷信 肥料迷信の 此二つ 打破らねば 世は潰へなん  
                        (S28.11.11)

 しんをおしえ ぜんをおこない びをたのしませ  ひとみちびくなり てんごくのみちへ
 真を教へ 善を行ひ 美を楽しませ 人導くなり 天国の道へ 
                        (S27. 2. 4)






   神は光にして光のあるところ 平和と幸福と歓喜あり
    無明暗黒には闘争と欠乏と病あり 光と栄を欲する者は来たれ
     来たりて観世音菩薩の御名を奉称せよ さらば救われん
                                              (「光明世界」創刊号 昭和10年2月4日発刊)
   
 


         岡山支部発会の報告

2011年8月10日、多くの方々のご協力の下、メシヤ教岡山支部を発
会致しました。ご協力頂いた方々に御礼申し上げます。

 これからは、メシヤ様の御心を心とし下記の御教えを拠り所とし
て努力精進し、自らの魂の向上を目指しつつ、苦悩にあえぐ多くの
人たちに真理を知らせ、浄霊を通して真の救いを進めていきたいと
思っております。
  よろしくお願いします。          (岡山支部 責任者)


『神とは、言い換えれば完全なる人間という事である、故に人間は
努力次第で神にもなり得るのである、そうして本当の宗教の行り方
は一歩々々完全人間即ち世にいう人格完成に近づかんとする努力の
生活であらねばならない、然らば完全人間とは如何なる意味であら
うかというと真理即ち神意を骨とし、人間生活を肉とみるのであ
る、即ち如何なる不正にも誘惑にも動かざる確固たる精神を内に蔵
し、常に天空海濶的心境に在って、日常の言動は融通無碍時所位に
応じ何物にも拘泥する事なく、千変万化身を処すべきである、又規
律を尊び、怠惰を嫌い、万人を愛し、人に接しては春秋の気候の快
適の如く、何事も極端に走らず、人に好感を与える事を之努め、親
切謙譲を旨とし、他人の幸福を念願し、人事を尽して神意に任せる
態の信念を以て進むべきである。

人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力
こそ、人として最尊最貴のものであり、斯の如き人間こそ生甲斐あ
る真の幸福者というべきである、勿論信仰の妙諦も是に在るので、
此様な人間の集団こそ地上天国でなくて何であろう。』   
            神懸り宗教  (光号外  昭和二十四年五月三十日)







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