メシヤ教 岡山支部

A 邪神の手口






信仰の手引き
 はじめに---幸福を願って
第一章          
 メシヤ様の御神格
第二章           メシヤ様の御経綸
第三章           信仰の向上を図るために
第四章           浄化作用と再浄化
第五章           霊的知識を深める
第六章           正神と邪神
 1、正邪の戦い
 2、邪神について
  @ 邪神の目的と狙い
   A 邪神の手口
  B 邪神の正体
 3、悪魔の三巨頭について
 4、マッソンとフリーメーソン
 5、龍神、狐霊、天狗他
  @ 龍神について
  A 稲荷・狐霊について
  B 天狗について
 6、信徒としての姿勢
  @ 邪神への対応
 7、その他

《参考文献》
 参考文献1
 参考文献2
 参考文献3
 参考文献4
 参考文献5





               信 仰 の 手 引 き





             
 


       第六章 正 神 と 邪 神
             
  


          2、邪神について

A 邪神の手口


   「今までの文学を
      邪神は利用していた」

今迄の文学は神様の御用でなく、邪神の御用をしたのが大部
だった。人を良くするのではなくその文学により悲観的、
厭世的、懐疑的になったりする
人間の善い面より悪い面を伸
ばす働きが非常に多い
。そして、人間はそれに興味を覚えた。
読むと魂の善い面が眠ってしまふ今迄の文学家のそれは大
体西洋から思想が出ている
。世の中を明るくするとか良くする
とかいふ事はない。懐疑を起したり、悲劇を起したりするのが
多かった。それは夜であったからそうなった。あまりひどいの
は神様が処理する訳である。これからは本当の明るい文学が出
来る。(
神様が処理するから、之が早死の原因だし、よく精神
病の原因
になる。幸田露伴は長生きした)


 斯ういふ人の書いたのは酷いのがある。然し、一面医学にやら
れる点がある。
悲観的な事は薬毒が深い。頚に溜るからであ
る。芥川などはそれである。子規の如き、尾崎紅葉の如きもそ
れである。「夏痩せや薬とりにまかれ日和下駄」と言った。」

               (講話集補 S○・8・7)




  「邪神の仕組、手口について」

「これは誰も知っている事だが、昔から宗教というものは、
つの時代でも初めどこか普通人と違った処のある人間が、一念
発起と共に世を救わんとの願望から一宗一派を立て、教義を作
り、相当人助けをしてる内、漸く世間から認められ、愈々これ
からという時になると、
必ずと言いたい程妨害が現われる。こ
の大きい例が釈迦に提婆、キリストにサタンとして誰も知って
いるが、然も
その宗教に力があり、将来性があればある程、排
撃弾圧も酷い
のである。

そこで彼等は先ず時の権力者を動かし、世人に憎悪感を起させ
べく、巧妙な理屈やデマをデッチ上げ、宣伝これ努める。曰
くアノ宗教は人を瞞し、遂には家をも亡ぼすような恐ろしい迷
信であるから、決して触れてはならないというように思わせ
る。
勿論調べもせずして独善的に決めてしまい、社会的信用の
ある人士や、一流の言論機関等を扱う人を自由にするのも、

邪神が憑依しそう思わせる
のであるから、御本人は一向気がつ
かず、自己意識と思っている
と共に、一般人にも邪神の仲間が
憑依し、両者相呼応する
のだから堪らない。これが邪神の仕組
である。(後略)」 (「正邪の戦い」地50号  昭和28年7月25日)


「(前略)世間よく神様の罰(バチ)があたるといふ言葉があるが、
之は邪神系の神様である。何となれば、罰といふ事は人を苦し
める事
であるから、人間に対し、絶対愛より外にないのが正神
であるから、そのやうな事はない
訳である。又金を上げれば病
気が治るといふやうな神様も邪神
である。何となれば、金を上
げれば病気を治すといふ事は一種の交換条件であって、いはば
神対人間の取引のやうなもので御利益を売る訳であり、実に浅
間しき限りである。
之等は正神は聴届け給ふ事はないので正神
、人間からの報酬や条件などに関はらず、無我愛に救はせ給
のである。

 右の如く、金銭を上げさして、幸に病気が治ればいいが、反対
に不幸な結果を来す事も往々ある
から、そうした場合一度上げ
た金銭は決して返還しないのである。丁度、品物を売買の場合

前銭をとっておいて約束の品物を渡さないのと同様であって、
之等は神様を看板にして行ふ一種の詐偽的行為といっても差支
へなからう。然るに、斯ういふ目に遭った場合、相手が神様で
あるから、後の祟りを恐れて泣寝入に終るといふのが常態であ
る。故に、之を奇貨として
布教師等が病人の懐を絞るといふ行
を見受けるが、実に赦すべからざる罪悪で、世人は斯様な事
に騙されぬやう大いに注意すべきであらう。従而、
世人が心得
おくべき事は、神仏を信仰する場合、顕著な御利益があり、如
何に考へても、神仏の御加護に違ひないと思はれるやうな事が
あった場合、その感謝の誠を捧げるといふ意味で金銭又は品物
を上げるのが本当
である。

 又、よくその宗教の信者が「その信仰を離れれば罰が当って不
幸になる」とか甚だしきは「一家死に絶える」などといふのが
あるが、これ等は、神が人間を脅迫する事であり、邪神である

事はいふまでもない。

 又、自己の願望を神に祈願する場合、正しからざる事。例へて
いへば人を呪ひ或は自己の欲望の為社会を毒し、
他人に迷惑を
かけるやうな事等の願を聞届け、幾分でも成就させる神は邪神

であって、正神に於ては正しき願事以外は聴届け給ふ事はない
のである。以前私は友人から聞いたのであるが、盗賊の常習者
の団体が講中を作って、或有名な神社へ参拝するのであって、
そうする事によって、容易に捕まらない御利益があるといふの
である。之等は実に怪しからぬ事で、神様に罪があるのか人間
に罪があるのか分らないが、真実とは思はれない位の話であ
る。


 此意味によって、正しい神仏か正しい宗教であるかといふ事
は、何よりも常識によって判断するのが一番
間違ひないのであ
る。奇嬌なる言説や態度等は勿論、些かなりとも国家社会の秩
序に反するやうな点があれば、それは
邪教と見做すべきであ
る。(中略)


悪魔の心裡は一言にしていへば、神の御意志とすべてが相反す
といふ事である。即ち人に災厄を与へ苦しめ、絶望せしめ、
不幸のドン底に陥れ、遂には滅亡さしてしまふといふ、実に人
間として想像し得られない残虐性を有ってゐる
ものである。故
に、
一点の慈悲、一掬(イッキク)の涙さへないので、それが悪魔の本
であるからやむを得ないのである。右の如く人間を苦しめる
事が、悪魔にとっては、実に愉快で、無上の喜び
であるらしい
のである。(後略)」   
(「神と悪魔」昭和18年10月23日)




    「邪神の任務と手段」

「(前略)そうして邪神にも頭目があり、今最も活躍してゐるの
は、赤龍竝びに黒龍
で、その眷族に至っては、無慮十億近くに
上る
のだから大変なものである。


彼等にも上中下の階級があって、階級により夫々の役目があ
る。彼等と雖も命令された仕事は忠実に成し遂げやうとして一
生懸命
である。といふのは其功績次第で出世もし、論功行賞に
も与る張合があるからである。勿論総本部に鎮座まします頭目
からは、一々指令が出て、霊線を通じて、人間に憑依せる副守
護神に伝達される
のである。此場合人間界に於る其人の地位や
階級に相応する眷族が働きかける訳で、彼等の任務としては凡
ゆる手段を講じて、
人間を悪に悪にと導こうとする

 それが今日の世相に遺憾なく現はれてゐるから厄介だ。而も
手段たるや実に
巧妙残虐極まるもの
で、例へば下級の人間には
殺人強盗とか、暴行とかいふやうな兇悪犯罪を行はせる
が、少
しマシなのになると詐欺や、貨幣、證券、書画等の偽造をさし
たり、又婦女子などを言葉巧みに誘拐したり、姦通などを面白
がったりする。其上になると余程高級で、
善の仮面を覆って知
謀的犯罪を行はせる
。人の財産を捲き上げたり人を瞞して金儲
けをさしたり、贈収賄、涜職、脱税、隠匿物資、闇の売買等は
勿論、酒を呑ませ、婦女子を弄ぶ等も彼等の常習である。


 以上、何れも其行為が発覚すれば法に触れ犯罪者となるから、
誰が目にも悪人に見られるがそれらと異なり
善の仮面を覆ら
せ、悪を行はせる場合もある
。之等は比較的中流以上に多く、
特に
智識階級に最も多いので、大いに注意を要するのである。
例へば常に誰が目にも正しいと思ふやうな説や、何々主義など
を真理と思はせるやう口や文書にかいたりして、世人に信用を
させ、蔭ではそれと反対の行ひをしてゐる
此種の人間は智識
人で信用があり、頗る巧妙
なので、其可否は一寸判り難い程で
ある。之等は政治家や、名士論客にも多く、社会的相当の地位
を占め、人から重んじられてゐる人もあるから、仲々油断は出
来ない
のである。(中略)


茲で全然人の気の付かない罪悪がある。それは立派な学説と思
ひ、それに身を挺して実行してゐるが、実は人類に禍を与へて
ゐる
といふ気の毒な人達もある。以上説いた者は、何れも邪神
が操っているのであるが、科学で固まった頭脳では到底判りよ
うがないのである。(中略)

 要するに、一切は主神の経綸であって、文化発展上、正邪相争
明暗美醜相混り斯くして一歩々々理想に近づくので、
之も深奥なる御神意であって、到底人智の窺ひ知るを得ざる事
を知るべき
である。」 (「邪神活躍」 昭和25年12月25日)




   「邪神は人間の曇りを
      利用して妨害する」

「(前略)以上の如く、神の意図によって断えず人間に命令を下し
つつある
。それは如何なる手段によるかといふに、
霊層界に於
ては人間一人々々のが存在
する。を私は名づけて幽魂
いふ。
幽魂に先づ命が下るのである。然るに幽魂は人間霊体
の中府に在る
現魂に向ひ霊線を通じて神の命を伝達する
のであ
る。然し乍ら一般人間が神の命を直感し得る事は至難であっ
て、或程度浄化されたる霊体の保有者にして可能である。それ
は大多数の人間は多量の曇りに遮られ、感知出来ないばかり
か、
其曇りを利用する邪神によっても妨害されるからである。
(後略)」        
 (「霊層界」天  昭和22年2月5日)




 「邪神は眉間を占領すれば、
 その人を自由にすることが出来る」

人体は腹の真中前頭部の奥とでとなり相通じ合って
ゐる
のです。ですから高天原を人体で云へば眉間です。邪神が
つくと眉間へ来たがって仕方がない。
眉間を占領すればその人
を自由にすることが出来る
から。そこで眉間へ来れぬ時はその
人を怒らせる
怒ると頭の霊細胞が薄くなるから眉間へ来れる

のです。その中又気持が平静になり霊細胞が濃くなると邪霊は
下の方へ下るのです。ヒステリーなんかは之です。又狐の霊な
んか憑くとよく喋るんです。女でよく喋るのは狐です。又威丈
高になって相手に物を言はせないのもさうです。」

                      (昭和23年6月8日)




 「邪神は邪魔するために、
   あの手この手でやってくる」

「(前略)邪神の何んな奴でも私の側にも寄れませんからね。そこ
で、
私の周囲の者にですね。之はちよいちよいやるが、それも
長くは憑けない。大抵数分位ですね。何時間も憑けない。之は
良く判るので――何か、お祭りがあるとか、重要な人と面会す
る時、
私に腹を立たせ様と言うんです。自分には分らないんで
すが、邪神がやるんです。それ以上は憑けないんです。それか
ら、信者の人でも、ちやんと信仰の固まつた人には何うする事
も出来ない
から、新しくやつて来る人とかを邪魔しようとし
て、あの手この手でやるんです。だから、信仰に入ろうと言う
人が入らなかつたり、来る人が来なかつたりする
んです。昔
は、邪神の方も大分強かつたが、この頃は年々弱つている。だ
から信者も増えていくんですがね。(後略)」

             (御教え集3号  昭和26年10月11日)




「巧みに屁理屈をつける邪神の手口」

邪神理屈をつけるのが実に巧い。あまり反対のある時は、
当分遠退いた方がよい。いくら先方が間違っていても、怨みが
来て邪魔する
から、一旦気を抜いて時期を待って行った方がよ
い。」                    
(講話集補  S23・8・21)




    「脅迫信仰は邪神」

「(前略)それから、「この教へから抜けると一家死に絶える」
かいろんな事を言ひますがね、
そんな事は絶対ないんです。こ
んな脅迫による――つまり
脅迫信仰ですね、之は間違ってるん
です。神様ってのは大慈大悲なんですからね、こんな事は絶対
ない。
正しい神様の御働きにはないんです。こんなのは必ず邪
ですよ。

 然し、信仰をよしますね、すると――邪神ってのはどうにかし
て出来るだけ人間を苦しめようと始終隙を狙ってる
んですが、
それが今迄は神様の御守護によって隙がなかったが今度
信仰し
なくなって隙が出来ると、そこへ邪神が災ひを与へる
んです。
それが丁度、
罰が当った様に見えるんです。

 脅迫して信仰させるっていふのは間違ひですよ。そんな事をす
ると、
脅迫する人の方へ災ひが来るんですがね。だから、信仰
でも何でも
正しいっていふ事が何よりの強みですよ。信仰しな
くたって正しい人には災ひなんかない筈
なんです。
然し、本当
に正しいのは
、信仰でなくちゃ続けられない
んです。見えざる
ものを信じなくちゃ、本当に正しくはなれない
んですよ。誰も
見てないからこの位の事したって構はないだらう――って間違
った事をしようとする心がどうしても人間は起る
ものなんで
す。所が、信仰してると、
神様が見てらっしゃるからこんな事
は出来ない
と思ひますからね。だから、どうしても信仰が、
しい信仰が必要
なんです。」(御光話録14号  昭和24年8月23日)




 「順序を乱し、
  順序を狂わすのが邪神の手法」

「(前略)霊界は出鱈目(デタラメ)ではないので、実に厳格になって
ますから、霊主体従の法則によって、順序が違っているとそれ
だけ影響がきますから、苦しかったり思うようにゆかなかった
り、何んだか気持が悪いもの
です。ですから、私がこうして高
い所で喋るから、喋りよいし、又あなた方も聞きよいのです
が、これが逆になったら変なものです。


ですから「神は順序なり」で、神様は非常に順序がやかましい
のです。仏様を拝む度に祖霊が沢山来ますが、それは実に順序
がキチンとしています。大先祖は上段に居て、それからだんだ
ん新しい先祖ほど下にゆき、親子兄弟、親戚と、その順序は正
確に並んでい
るわけです。


だから家庭でもいろんな場合は、親子兄弟の順序を出鱈目にし
ないようにする
のです。そうすると何時も気持よく平和にゆく
のです。争いや言い合いがあったりいろいろしますが、そうい
う時には坐る事とかいろんな事でみんな順序が違っているので
す。それで親が座る所、長男、次男の坐る所と、決まっている
のです。それで食事の時に順序がチャンとしていると気持よく
ゆくのです。それが順序が違っていると食事中に喧嘩したり気
持が悪い事があるのです。そういう事は
些細(ササイ)な事のようで
あって、大きな事
です。

ところが霊界にはいろんな邪神も居るし、反対派の方の霊が居
て、それが
順序を壊そうと始終やっているのです。それが体に
写っていろんな事があります。それで私を邪神は始終狙ってい
ます。しかし光が怖いから側には来れないが、遠まきにやって
いるのです。何かあると、これは邪神がやっているなと直ぐに
分りますが、それでとんでもなく順序を変えるのです。


詳しく言うとこんな事で影響するかと思いますが、私を下にし
ようとするのです。と言っても目に見えるようにではないの
で、それは実に微妙なものですが、そうすると私の光がちょっ
と跡切(トギ)れるのです。それで跡切れるほど邪神の寿命が延び
るのです。それはどうせ自分達はもう長くないという事は分っ
ているのですが、やはり
邪神としての権力を持ってますから、
その権力を一日でも長くさせたいのです。そこで
私の光を妨げ
のです。今までのいろんな事件もみんなそれです。それによ
って一時延びるのです。しかし私の方がだんだん強くなって、

しまいには先が往生します。それからがミロクの世になるので
す。(後略)」      
(御教え集26号  昭和28年9月5日)




  「邪神は善の仮面を
   被っているので注意が必要」

「(前略)こつちを一番憎んでいるのは邪神です。人を救うとか世
の中を良くするという事はけしからん野郎だ。何んとかしてや
つつけなければならないと、それが今迄のこつちの問題だつた
のです。


       「然し邪神ばかりでなく、正神もありますから」

そう、正神の顔をしているのもありますから――。邪神という
ものは決して悪を標榜していません
。皆善です。それで皆一杯
喰う
のです。それは大きい邪神程善です。医学と同じです。医
は仁術なりと言つて――ですから私の本に書いてあるでしよ
う。
悪を善と信じて行う悪が一番恐ろしいと、ですから理窟を
つけて尤もらしくしますが、非常に良い様に見えて結局は悪

のです。それが邪神のやり方です。


    「その事で一番上手(ウマ)いのは共産党で――」

 そうです。然し一番上手いのは医学です。之は一番です。兎に
医学が邪神の一番成功したものです。それを今度は「文明の
創造」ですつかり書いてあります。九分九厘と一厘というのは
そういうわけです。医学というのは人間の生命を握るのですか
ら、医学に全部生命を握られているのです。それを私が離そう
としているのです。九分九厘を一厘で引繰返そうとするので
す。二千年以上かゝつて斯うしたのですが、それを一ぺんにし
て引繰返すのですから、驚天動地の場面でしよう。


その小手調べとして「⇒結核信仰療法」をやつているのです。
その内に「⇒文明の創造」をやるのです。
文明の創造を世界中
行渡らせて、それから世界の大破壊となるわけです。病人も
ありますし、それは大変なものです。そうして、
何うしてもメ
シヤ教に縋らなければ助からないという事になる
のです。 (後
略)」         
(御垂示録13号  昭和27年9月1日)




 「邪神は悪い事を、善い事、
  正しい事の様に思わせるもの」

「(前略)最初から邪神と判られては人間の方で警戒するから、邪
神の目的は立たぬ
どこまでも正神と見せかけて間違つた事、
悪い事を、善い事、正しい事の様に思わせる
ものである。邪神
いはば人間界の詐欺師のようなものである。これを認識しな
いと邪神の術中に陥るのであるから、余程はつきりとした眼識
をもたねばならぬ。


 私の「信仰雑話」をかいたのも、一つはそういうものにしつか
りした判別力を植付けるため
でもあるから、どうしてもこれに
よつて智慧証覚を磨かねばならぬ
。随而邪神の言動は立派に見
えても必ずどこかに欠点のある
もので、容易に見破り得るので
あるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙されるのであ
る。(後略)」      
 (教えの光 昭和26年5月20日)




  「邪神は善の仮面を被って
               悪を行わせる」

「(前略)処で邪神なるものは目に見えない霊ではあるが、仲々
断のならないもの
である。というのは邪神は凡ゆる人に憑依し
て悪い考えを起させ、悪い智慧を与え悪い事をさせようとす
。然し悪いといっても詐欺や泥棒、喧嘩や暴力、放火、人殺
し等は、誰が見ても悪であるから反って始末がいゝ位だが、そ
れ等と異って
善の仮面を被って悪を行わせる、此奴が最も恐ろ
しい
のである。(中略)

 そうかと思うと科学さえ発達させれば、人類の福祉は増進する
と思い、それには神を否定する事が肝腎と思い、宗教は迷信と
して排斥する
。又芸術は文化を向上させ、人間の趣味を豊かに
させるコンマ以上のものとして得々としているが、それには違
いないが、近来流行しているような妙な文字や絵画は其逆効果
が厄介だ。(中略)


 以上の如く私は数例を挙げてみたが、其根本は曩に述べた如く
邪神が憑依し、善と思わせて悪を行わせるものであるから、此
点に
充分注意して瞞されないようにされたい。」
           (「邪神というもの」昭和26年10月1日)




    「邪神は蜘蛛を使う」

邪神は多く蜘蛛を使う大きい蜘蛛は邪神が憑依する。この
人を苦しめようとの邪霊か邪神かが憑ってやったと思えばよ
い。
蜘蛛は気をつけるべきである。」     (年代不詳)








                                  



inserted by FC2 system