メシヤ教 岡山支部

5-A 稲荷・狐霊について






信仰の手引き
 はじめに---幸福を願って
第一章          
 メシヤ様の御神格
第二章           メシヤ様の御経綸
第三章           信仰の向上を図るために
第四章           浄化作用と再浄化
第五章           霊的知識を深める
第六章           正神と邪神
 1、正邪の戦い
 2、邪神について
  @ 邪神の目的と狙い
   A 邪神の手口
  B 邪神の正体
 3、悪魔の三巨頭について
 4、マッソンとフリーメーソン
 5、龍神、狐霊、天狗他
  @ 龍神について
  A 稲荷・狐霊について
  B 天狗について
 6、信徒としての姿勢
  @ 邪神への対応
 7、その他

《参考文献》
 参考文献1
 参考文献2
 参考文献3
 参考文献4
 参考文献5





               信 仰 の 手 引 き





             
 


       第六章 正 神 と 邪 神
             
  


   5、龍神、狐霊、天狗、
     その他の動物霊について
       A 稲荷・狐霊について

「(前略)稲荷さんの事をよく聞かれますが、之は知ってゐてい
い事ですからお話します。


 稲荷といふものは、最初は豊受明神といって五穀の神が、稲
を日本中へ配られた。此時狐を使って、狐にそれを咥(クワ)えさ
せて日本中を配った。
それで字によってみると、稲を荷ふとい
ふ字です。又或説によると、飯成りといって飯をならせるとい
ふ説もあります。又稲荷の画をみると、狐が稲を咥えて宙を飛
んでる、その上に女神が乗ってゐる。之が豊受明神で、そうい
ふ具合に稲を狐が配った。


その稲を感謝の意味と、又配ってもらひたいといふ意味から、
お百姓が田圃にお宮を建てて祭った。それが正しい意味
であり
ます。所が、世は邪神の世となって、狐を使って悪い働きをし
た。邪神の親玉として出たので、
豊川稲荷などに荼枳尼(ダキニ)
天神
といふのを中途で祭ったが、あれは金毛九尾の狐で、以前
は稲の意味ばかりであったが、今度は何でも利く利益があるや
うになった。芸者や女郎が人をだまして金が余計入るとか、財
産を潰す事などを願って、それを狐が引受ける事になって、全
然本来の使命は没却され他の事になり、その為に正一位稲荷大
明神と明と神とを入れ、鳥居とか食物を上げさし威張って、終
には人間を下に見下すやうになった。之は人間が奉ってそうし
たんで、稲荷の根本はそういふ意味なんであります。


 今東京でなど、百姓でない人が祭る事は全然違ってゐる
がどんな神通力があっても、四ツ足で人間より下
のもので地べ
たを歩くものです。これに家の中で人間より上に祭るといふの
は大変な間違ひ
で、
霊界ではそこは地べたになるから人間のゐ
る所は地の下になる訳ですから、狐を祭れば災難や病人が絶え
ず、うまく行かぬ
之は卜者(ウラナイシャ)よりもよく当る。

ですから、家の内には絶対祭ってはいけない。但し、祖先が畜
生道に落ちて狐に生れて来る事がある。そういふ場合は祖先で
すから、祭ってはいけないと、その宮を壊はすのはいけない。
そういふ稲荷は、庭なり空地へ丁重にお祭りする。
如何に祖先
だと雖も天地の規則は枉げられぬ。
四ツ足を座敷に祭るといふ
事はいかん。
丁重に祭ると稲荷も、喜び、益々その家を守って
くれる。
たゞ
人間より上の座敷に祭るといふ事はいけない。
く四ツ足の事ですから、稲荷が祟ったりなどするから、気を付
けなければならないのであります。」 

               (御講話 昭和10年8月11日)



(伊勢の内宮及び外宮併祀の由来及びその意義について御伺ひ致します。)
内宮は天照大神、外宮は豊受明神を祀ってますが、天照大神は
主食につき非常に関心を持たれ豊受明神に命じて全国に稲を配
らせた。この時明神は狐を使って配らせた。
稲を荷ぐと書いて
稲荷(イナリ)と云ふのはその為で、
その時の功により祀られたので
す。だから
稲荷は百姓が拝むべきで、今芸者や女郎などが拝む
のは狐が堕落したのです。


勿論普通の稲荷神社も豊受明神の御分霊が祀られたのですが、
狐の方が強くて御分霊の力が弱くなり統制がつかなくなった

而も夜の世界で天照大神は御引退になって居られたので余計狐
が強くなったのです。豊川稲荷なんか途中からダキニ天神を祀
ったが、之は金毛九尾の狐です
よ。」

                  (御光話録 S23.10.8)



(豊川、伏見、王子、穴守の稲荷の御本体と豊受大神とは御同一ではないの
でせうか。)

 稲荷の本体は、豊川は豊受明神、伏見は豊川の本元である。
王子、穴守は豊受明神ではないと思ふ。豊川も豊受明神を祀っ
ても、それを占領して中心になり威張ってるのが沢山ある。豊
川は途中でダキニ天神を祀った。之は金毛九尾で、どんな利益
でも呉れるが、害も多いからいけない。本当の線に入っていな
い。


 豊受明神は立派な神で、主食を守護してる神である。日本中
へ稲種を蒔く時、人間の手では及ばぬので狐にそれを命じた。
それで祀ったのが稲荷で、稲を荷(カツ)ぐといふ。之が正しい意
である。稲荷は本職を逸脱して他へ働いた。使命としては
へ対する守護が本当
で、最初は農民が拝んだのである。」

                    (講話集補 年代不詳)



「 (その土地に限って精神病が多いのは如何なる因縁によるものでしょう
か。)

"精神病は殆ど狐で、狐にも団体がある。 大きいのは何千万も
何億もある。
親玉は金毛九尾で、日本の狐は皆その眷族であ
る。眷族の多い集団の土地には精神病が多い。伏見など割にい
い。稲荷では、総取締りである。」

                (講話集補S23・11・22)



「(前略)又注意すべき事は稲荷を祀る場合である。元来稲荷大
明神と雖も本体は狐霊であるから、人間よりも位が低い
のであ
る。従而、室内に祀る場合、人間の位置の方が低くなるから面
白くない
。その理由は本来狐は地面の上に棲息する動物である
から、
狐の居るべき所は、霊界に於ては地面に相応するので、
人間がそれより下に居る場合地獄に相応する訳である。故に実
際上
室内に狐霊を祀ってある家は、不幸や災厄が断えないもの
である。故に、
稲荷を祀る場合、室外即ち庭又は空地に定むべ
である。

 又、稲荷には二種の区別がある。一は古くから伝はってゐる
祖先以来祀ってある稲荷
で、それは祖先が狐霊となって子孫を
守護しつつあるもの
であるから、身分相応の社を作り、鄭重
(テイチョウ)に祀るべきで、毎月日を定め、一日だけ祭典を行はなけ
ればならない
のである。それは祖霊を慰め敬ふ子孫の義務であ
ると共に、その御守護に対し感謝の誠の表はれであるから
であ
る。


 又一は、自分が伏見、豊川、羽田、王子、笠間等、有名な稲
荷神社からお礼を戴き祀る
のであるが、之は任意に処置しても
差支へない
のである。然しその場合御酒御饌を饌供し、今日ま
での御守護の謝礼を言ひ、元の御座(ミクラ)へ御帰還を願ふといふ
事を言葉によって述べれば可い
ので、それによって稲荷の霊は
帰去するのである。」   
(明医三「神憑り」 S18.10.23)



日本の霊界に於ては、狐霊の活躍が最も甚だしいやうであ
る。
狐霊は好んで宗教を利用し、又は宗教に利用される事を好
ものである。特に○○宗の行者などは殆んど狐霊を使ってゐ
る。狐霊なしではやってゆけまい。


そうして病気治し、当てもの等は、狐霊の得意とする所であ
る。然し病気治しは或種の病気に限るので、勿論憑依霊を狐霊
が追出し、又は鎮圧する為治る
のである。然し、彼等は病気の
治ったが最後、決して手を引かないものである。即ち治った御
利益を利用し、漸次深みへ誘ひ、退引(ノッピキ)ならぬやうにする
ものである。


故に、最初行者が狐霊を使ったのであるが、遂には狐霊が行者
や患者を利用し、種々の欲望を遂げる
のである。其様になった
最後の窮極は、
大方は精神病者たらしめるのである。

 元来狐霊は、精神病者たらしむ事を最も悦びとするものであ
る。何となれば、万物の霊長たる人間を、自由自在に踊らせら
れるからである。狐霊にとってはこれ以上面白い事はないであ
らう。そうして狐霊が何故に○○宗に密接な関係があるかとい
ふと、
○○経の経文を聞く時は、狐霊の通力が増すのだそうで
ある。このやうに狐霊は常に通力を増す事に努力して居るもの
で、人間を踊らせる場合、通力の強い程効果があるからであ
る。


 よく行者輩が、病気其他人事に関する事をよく当てるが、そ
れは如何なる訳かといふと先づ行者の前へ相手が座るとする。
行者の命に応じて、常に行者の命によって働く狐霊は直ちに相
手に憑依し、相手の頭脳中に侵入するので、通力によって相手
の意念や考慮してゐる事を探知し、直ちに行者の霊中に入り報
告するのである。そこで行者は「貴方は斯々の事があったでせ
う。」とか「斯々の事を想ってゐるでせう。」などといはれる
ので、生神様の如く信じてしまふものである。


 又、斯ういふ事もある。それは行者が相手に向って「何時
頃、貴方には斯ういふ出来事があるから、気をつけなければい
けない」などと云ふ。すると其言の如き事が出現するのでその
的中に喫驚して了ふ。畢に帰依者となるのである。それはどう
いふ訳かといふと、最初予言する時に、狐霊一匹を相手に憑依
させておくから、狐霊はその予言通りの事を行ふのである。此
方法で成功し、生神様の如く信じられ、相当の繁昌をしてゐる
行者に○○○市の○○といふ有名な婦人がある。


狐霊には、稲荷の狐と野狐との二種類がある。前者は稲荷大明
神と崇められ、その眷属も頗る多数で、狐霊界の王者ともいふ
べきもの
で、その眷属と雖も人間にすれば立派な官吏、会社
員、農工商等に従事してゐる公民である。然るに右に引換へ後
者の野狐は失業者であり、浮浪人であるから、常に食物や住居
に困り、狐霊の社会でも下賎扱ひされてゐるので、早く稲荷に
祀られるか又は眷属になる事を熱望してゐる
ものである。


そうして人間に対し害悪を与へるのは野狐に多い事は勿論であ
る。然し乍ら、稲荷の狐でも良狐は稀であって、その殆んどは
不良行為を好んで行ふものであるが、只だ野狐よりも不良性は
少ない
のである。そうして狐の中でも老狐ほど通力が強く、有
名な稲荷神社の本尊は大抵数千年を経た老狐である。


 但だ狐霊の中にも特殊な老狐がある、それは人霊と同化した
狐霊
で、曩に説いた如き子孫の守護を主眼としてゐるものであ
るが、之等の中から選抜されて産土神の従神となり神命のまに
まに活動してゐる狐霊
もあるが、之等は全部
白狐である。

 茲で、稲荷の由来に就て簡単に説示してみるが、その昔畏多
くも天照皇大御神が豊葦原瑞穂国を、豊穣の土地となさしめ給
はんが為豊受明神に命じて、四方の国原に稲を間配らせ給ふた

のであった。豊受明神はその命を畏み多くの狐に命じ稲種を各
地に蒔かせ給ふた
。従而、
稲荷とは稲を荷ぐといふ意味であ
り、又飯を成らせるから飯成といふ説もある。その功によって
各地に神として祀られ、それぞれの
土地の百姓の感謝礼拝の的
となったのである。

之が稲荷の始まりであり、本来であるが、何時の時代よりか世
の乱れと共に稲荷の信仰も紊れ、農事以外の事にまで祈願の目
的が及んだのである。終には商人が商売繁昌や金儲けを願ひ、
果は花柳界の人達が情事に関する事や、一般人が私利利欲の為
の祈願をするやうになり、それに対し、稲荷明神の方でも、善
悪無差別的に御利益を与へるといふ風になって今日に及んだの
である。」
           (明医三「狐霊」S18.10.23)



「日本の各地に祀られてゐる社に稲荷位多いものはあるまい。
従而、稲荷の由来を知りおく事も無駄ではあるまい。

 太初の時代、人口が漸次増加するに従ひ、主食の増量が必要
となったので、天照大御神は五穀生産の担任者として豊受明神
に命じ給ひ、全国的に稲種を頒布された
のである。其際、今日
と違ひ交通不便の為、豊受明神は狐に命じ給ふたのである。


稲荷の文字は稲を荷ぐといふ意味である。一説には稲荷とは言
霊学上飯成といって、飯種を成らせるといふが之はあまり首肯
出来ない。以上の意味によって最初
農民は狐の労に謝すると共
に、豊作を願ふ願望から、稲荷大明神と崇め奉った
のである。
よく女神が狐に乗り狐が稲を咬えてゐる稲荷神社の御札は、そ
れを表はしたものである。


 処が、時代を経るに従ひ、商売繁昌や種々の祈願の的とな
り、遂には花柳界の人々までも御利益を与えるようになったの
は全く稲荷自体の本分を無視する事になったのである。故に

荷に対しては豊作以外の祈願はすべきではない
ので、反って一
種の罪を構成する事になる
のであるから慎しむべきである。」
            (「稲荷の意味」光19号  S24.7.23)



「「日本人と精神病」の項目に述べた如く、前頭内の貧霊は必
ず不眠症の原因となる事は勿論で、それは右側延髄部附近に固
結があり、それが血管を圧迫するからである。又
狐霊が憑依す
る場合、前頭部を狙ふ
のは曩に述べた通りで、前頭内は人体を
自由に支配出来得る中心機能があるからである。それを憑霊は
よく知ってゐるからそこへ憑依し、自由自在に人間を操る
ので
ある。


狐霊はこの人間を自由にするといふ事に非常な興味をもつばか
りか、狐霊の数は日本だけでも何千万あるか判らない程で、彼
等にも団体があり、その首領があり眷族も無数にある。その大
きな団体としては伏見、豊川以前あった羽田、王子、笠間等
で、其他中小団体は全国到る処にあり個人の家でも祀ってある
事は衆知の通りである。


狐霊界には稲荷の眷族と野狐との二種がある。勿論野狐は人間
界の無宿者と同様
であるから、彼等は稲荷に祀られたい欲求を
以て常に活動
してゐる。狐の中にも産土神の家来となってゐる
良質のものもあるが、
大部分は不良狐となってゐる。そうして
狐霊は人を精神病にしたり、人に罪悪を起させる事を非常に好
むもので、最も悪質なのは殺人又は自殺等を行はしむる奴さえ
あって、その手腕によって仲間から重んぜられ、巾が利くとい
事は、人間界で与太者やヤクザと同様である。狐霊の悪い奴
になると数十人の殺人を犯した事を得々といふ事さへある。


 狐霊の性格は一寸人間では想像もつかない点がある。といふ
のは
彼等は実に饒舌家で、一分の休みもなく喋舌り続けるので
ある。精神病者が間断なく自問自答してゐる事があるが、之は
狐霊との問答で、患者の耳に断えず聴える
のである。医学では
之を
幻聴といふが之と同じく霊が見えるのである。よく患者が
空間を見詰めて恐怖したり、泣いたり笑ったりする
事があり、

医学は之を幻覚といふが、之は霊界に実在するいろいろの霊
や、霊の動きが見えるのである。其場合時によっては患者に狐
霊が憑依し、その霊視力を利用し狐霊の仲間が霊界に在って化
装するのであるから、万物の霊長たる人間も、狐霊の意のまま
に飜弄される訳で、実に情ない話である。(中略)


 右の外、狐霊の憑依例は、多数あるが、右の五例だけで、凡
その認識はつくであらう。そうしてよく狐霊が言ふには、
法華
経の読経を聞くのが一番好き
だといふ。何故かと聞くと、神通
力が増すから
だとの事である。それに引き反へ天津祝詞を聞く
のは一番嫌
だといふ。それは苦しいからだといふが、之は誤り
ではない。何故なれば、日蓮宗の行者は狐を使ふものであり

津祝詞を聞くと狐霊は苦しみ萎縮する
からである。」 
                   (「狐霊に就て」S24.9.25)



  「精神病は狐霊を
   はじめとする邪霊が原因」

「此病気の原因は、最初は不眠症からであります。不眠症は先
づ精神病の一歩手前と言ってもいい
のであります。

 従而、後頭部の水膿溜結を溶解すれば眠れる様になりますか
ら、
眠れさへすれば精神病は治ってゆくので、吾々の方では
神病は必ず全治する
のであります。


 不眠症から精神病へ進む順序を述べてみませう。
 不眠の原因である後部頸髄部の水膿溜結が脳への送血を妨げ
るので、
脳の中枢が貧血するのであります。其貧血へ邪霊が憑
依する
のが、その原因であるのと、
 今一つ憑依でなく、患者自身の腹中に常に潜在して居た邪
霊が、頭脳の貧血に乗じ上昇して頭脳中枢を占領する
のであり
ます。


 元来人間の精霊は、平常は或程度の濃度を保ってゐる。その
程度とは、普通人の健康状態の血液の密度と同一であります。

 然るに何等かの原因によって、血液が減少した場合、其如く
精霊も稀薄になるので、其霊の稀薄に乗ずれば、他の霊即ち邪
霊が憑依し得らるる
のであります。一種の補給的意味ともなり
ます。


 此例として、産後に不眠症や精神病が起り易く、又、月経時
にヒステリーが起り易く、又、山に行って断食等を行ふ場合天
狗等が憑依するのは、皆貧血に因る精霊の稀薄に乗ぜらるるの
であります。


 右の如き体的原因以外、精神的衝動を受けるに於て、弥々不
眠症に拍車をかけられるのであります。それは貧血が一層甚し
くなるのでそれ丈邪霊の力が増す事になります。


 邪霊が憑依するや、凡ゆる事象を連続的に無制限に想はせ
る。それは彼等の本能
であります。そうして邪霊の思念が終に
発展して、行動に迄及ぶ
ので、それが常軌を逸しさせる種々の
狂態であります。


 医学上でいふ幻聴とは、霊のいふ事が聞えるのであり、幻覚
といふのは種々の霊が見えるのであります。
 そうして邪霊といふのは殆んど狐の霊で、稀には狸の霊もあ
り、尚稀には両方の場合もあります。

 精神病者が自問自答するのは頭脳の中枢に蟠居してゐる狐霊
と外部に居る狐霊との問答であるが、此場合本人の記憶を利用
する事が多いのであります。


 又空間をみつめて驚いたり泣いたり笑ったりするのは霊が見
えるからであります。

 要するに精神病なるものは、人間が狐霊に踊らされるのであ
ります。

 本療法によれば、半ケ年乃至二ケ年位で完全に治癒するので
あります。(中略)


 そうして狐は「本体」を暴露されると、騙す興味が無くなる
のであります。よく狂人が、誰も居ないのに喋舌ったり、何も
ないのに吃驚して逃げる事などがありますが、それは其人の霊
を占領し、他の狐霊と呼応して騙すのであります。人間の霊を
段々占領すると、顔までが狐の如(ヨウ)になって来る事もありま
す。人間を巧く騙す程、狐の社会では名誉になるのでありま
す。


 狐には、稲荷と野狐との二種あって、稲荷は祀られた狐であ
り、
野狐は謂はばルンペンであります。此野狐は絶えず祀られ
度くて策動してゐるのであります。


 日蓮宗の行者は、行を積むと狐が見える様になり、狐と交通
する事が出来る
。そうして野狐を招んでは、あの病気をお前が
治したら稲荷に祀ってやると言ふと、狐は祀ってもらひたさに
一生懸命に治すのですから、病気が治ると必ず祀らされるので
あります。


 野狐でも稲荷でも非常に沢山居て騙すのが巧い程出世をする
んであります。

 狐にも種々名前がある。日蓮宗の行者などはよく名前を付け
ます。


 眷族といふものも沢山居る。穴守稲荷などは何万と居る。之
は多く花柳界を専門にやってをります。旦那を招ぶとか色男を
招ぶなど巧いものであります。

 狐の偉い奴程騙すのが巧妙であります。

 東京では穴守と王子、関西では伏見などでありますが、穴守
の方は花柳界へ、王子の方は一般的の方面に活動して居りま
す。豊川あたりの狐は生活に困らないので、割合悪い事は少
い。豊川の狐は金儲けが専門であるから、豊川稲荷の信者は、
金は儲かるが−病気や外の不幸が多いのは事実
であります。


 又南無妙法蓮華経を聞く程神通力が増すのだと、狐からよく
聞いた事がありますが、
御題目を唱へると狐が沢山集って来る
のは事実
であります。
 それらの為に、日蓮宗にはどうしても狐憑きが多く犯人が多
いのであります。


 又狸は始末がわるく治りがわるい。之は一見して違ふので、
狸の方はとぼけた滑稽味があり、超越してゐる所があり、非常
に笑ひたがるのであります。


 狐は人間の頭脳を占領して踊らし面白がってゐるだけであり
ます。又
人間の生命を奪る事が好きで、実に簡単に自殺させ
る。そして、一人でも余計に殺せば名誉になり、仲間から偉い
とされるのであります。人間一人殺す位は訳ない事で、汽車往
生や三原山へ飛込ませたりするのも多くはそれであります。


 又人間の思って居る事を容易に知るので、行者などがよく物
を言ひ宛てますが、あれは行者に使はれてる狐が先方へ憑る

です。すると狐は速くに其人の気持や記憶が判るのです。それ
を今度は行者に憑って知らせる
。行者は其通り言ふから的(アタ)
るといふ訳なんであります。ですから過去は判るけれども未来
は全然判らぬ
。行者など随分物を当てるくせに下らない生活を
してゐるのは、未来が判らぬからであります。


 よく手を上げたり、首を振ったり、異常な恰好するのは殆ん
ど狐霊又は鳥霊の憑依であります。そして「吾こそは八幡大菩
薩だ」の、「何々大明神」とか、奮ったのになると「天之御中
主大神」だの「天照大神」など言ひますが、あれらは皆、
狐、
天狗等が好い加減な事を言って騙す
のであります。本人は自分
で自分を買被り、自分が天照大神だの、天之御中主大神だのと
思込んで了ふので実に危険であるから、神憑りは行らない方が
いいのであります。


 五、六年前私は某精神病院へ行った事がありますが、其所の
医師の話に「病院では全然治らぬ。一旦は治った様でも、家へ
帰るとまた起るのです」との事でした。

 本療法は霊的療法でありますから、段々狐霊が畏縮する。そ
うして狐霊は平常腹部の中央に小さくなって居ります。よく治
療してゐると臍の辺にムクムクして脈打つものがありますが、
それが狐霊
であります。


 蛇の霊は、長くなったり短くなったりして移動するのが特徴
であります。
 又、ヒステリーは、精神に衝撃を受けた瞬間精霊が畏縮
る。其間隙に乗じて腹部に潜居してゐた狐霊が俄然上昇し、頭
脳を占有して人間を踊らす
のであります。其場合−玉の様なも
のが腹から昇ってゆくのを意識する婦人がよくありますが、そ
れであります。頭脳は人間全体の縮図の如なものですから、頭
脳の中心を占領すれば身体全部を支配出来るのであります。


 暫くして、本人が平静に還るに従って狐霊は再び元の腹部へ
戻るので、意識がはっきりしてくるのであります。

 前述の様な訳でありますから、精神病とは連続的ヒステリー
であり、ヒステリーとは、一時的精神病とも言へるのでありま
す。


 女ばかりではなく、男で狐が憑いてる人があります。そうい
ふ人は
顔も狐に似てをるものです。
 治療をすれば、血が頭へ充実して来るから霊力が増進し、反
対に狐霊は畏縮するので、眠れるやうになり、意識がはっきり
してくるといふ順序
であります。


 狐霊を解剖してみると種々あって、稲荷と野狐と言っても、
其中に人間が狐になったのと本来の狐と両方あります
人間の
霊が畜生道に墜ち、狐になってる場合も相当あります

 然し、人間に憑依する場合、其人の霊統に因縁が必ずあるも
ので、全然無関係では憑依出来ない
ものであります。(後略)」
                  (「精神病」S11.7)



「 (その土地に限って精神病が多いのは如何なる因縁によるものでしょう
か。)

精神病は殆ど狐で、狐にも団体がある。大きいのは何千万も何
億もある。
親玉は金毛九尾で、日本の狐は皆その眷族である。
眷族の多い集団の土地には精神病が多い。伏見など割にいい。
稲荷では、総取締りである。」   
(講話集補 S23・11・22)



  「狐が一番面白がるのは、殺人」

「(前略)それから狐が一番面白がるのは、人を殺すのが面白
い。だから、人を殺そうとする
。一寸でも油断すると首をくゝ
らしたり、外に引つ張り出して水に飛び込ましたり、汽車や自
動車に轢かせ様としたり
する。殺すと仲間で幅がきゝます。だ
から、狐で自慢する奴は、俺は今迄に何十人殺した、と言う。
先に聞いたのによると、一番多い奴は四十何人ですね。その時
考えましたね。人間なんてなんと、情ないかとね。訳なく殺せ
るんですからね。そう言う場合に、
神様を信仰していると、正
守護神や神様に邪魔されて出来ない。
信仰してないと、そう言
う御守護がない
んです。だから狐のやり放題です。自殺するの
は殆んどそうです。(後略)」   
 (御教え集3号 S26.10.21)



  「狐霊は、薬で悪くして
   命を取ることを知っている」

「(前略)それでこれは難かしい理窟ではなく、薬で血を濁しま
すから、血が濁れば霊が曇りますから、霊が曇れば副守護神の
力が増すからして、副守護神という奴は悪い事をするのが本来
ですから、それで悪い事をさせる
というわけです。難かしい事
はないので、簡単に分ります。


面白い事は、私が前に浄霊していた時に狐などが出て来てこう
いう事を言うのです。「せっかくオレが医者にかけて、これだ
けに悪くしたのに、横から出て来てとうとう助けてしまった。
随分薬をのまして、やっとこれまでに悪くして、もう一息で命
を取るまでになったのを、横から出て来て助けた」
と怒るので
す。


ですから彼等は薬で悪くして結局命を取るという事をよく知っ
ている
のです。それは人間はとてもかないません。むしろ人間
以上です。私はむしろ狐から薬毒を教えられたくらいです。自
分自身でも分りましたが、
医学を狐が利用しているという事が
分ったわけです。


そうしてみると狐がその人間を殺そうとする場合にはやはり彼
等恨みの霊というものが、何か仇を討つという場合に、狐がそ
の人の副守護神に命令されたり、又はそこの祖先が稲荷を信仰
したとか、又その人が稲荷を信仰したいという意思を知って、
その狐が相手に働きかける
のです。そうすると
その場合に医者
にかける
のです。できるだけいい医者にかかって、できるだけ
いい薬をのむ
のです。むしろかえって
大きな病院やいい薬を、
という事に狐は働く
のです。その方が悪くするには効果的なの
です。大病院というのはやり方が大胆で思いきってやりますか
ら、悪くするのも思いきって悪くします。それで町にいる薮医
者というのはオッカナビックリしながらやります。手術でも、
あんまりひどい手術はしないというのですから被害は少ないの
です。ですから大病院でなおらなくて、町医者でなおったとい
う事を聞きますが、つまり薮ほど間違いないというわけです。
それで又薬をのませると霊が曇るからして、奴さんは余計働き
よくなるのです。つまり
医学を利用しているのは、そういう動
物霊
というわけです。(後略)」  (御教え集18号 S28.1.7)



 「正守護神が人に知らせる場合、
          狐霊を使う」

「(前略)之に書き忘れたが、正守護神が人間に何か知らせる場
合に、狐霊を使つてやる事がある
と言うのは、狐霊は人間に喋
つたりする事が、非常に上手いので、そう言う場合に正守護神
が狐霊を使うと狐霊が憑つて色々喋るが、処が正守護神の命じ
た儘を言えば良いが、狐は
――何しろ狐ですから、地金が出る
んですよ。それで、余計な事を喋る


そう言うのをみると、狐霊だか本当の正守護神だか分らない事
がある。之は狐だから本当にしちやいけないと思う事もある
し、之は正守護神だから本当だと思う事もある。だから、
喋る
言葉によつて、正しいか正しくないかを判断する。
そして正し
い処丈けを取れば、正守護神の思う通りになる。
その見別けが
難かしい――とも言えるし、常識的な判断をすれば、そう難か
しくない。それをはつきり見極めるのが審神と言う。


審神と言うのはそう難かしくないです。言う事が正しいか、正
しくないかを判断する
んですね。正しいか正しくないかを判断
するにも意味がある。小乗か大乗かですね。
小乗で良くてもい
けない。大乗から見て正しいと言う事が、本当の正しさ
ですか
ら、その見別けですね。その点を、解る様に何時も書いている
んですよ。大乗と小乗もね。ですから、何処迄も、
信仰は大乗
と小乗を基本として考えていくと間違いない
ですね。処が、一
寸聞くと、小乗の方が本当の様に思えるんです。正しい様に
ね。」          
   (御教え集4号  S26.11.18)



「(前略)それからよく狐だか祖先だか分らない事があります
が、あれは、人間に憑って話をする場合に、狐は実にうまいの
です。狐は言葉はどんなのでも分るので、人間と同じに話が出
来るのです。そこで霊が狐に頼むのです。その場合に、霊が祖
霊に話をして祖霊が狐を使う
のですが、そういう事が多いので
す。ですからよく狐だか人間だか分らない事があるのです。審
神していて、狐と思ってしまったり、狐に瞞されるものかと一
生懸命に用心しますが、そういう必要はないのです。人間の霊
に頼まれて狐が喋る場合には、狐が本性を現わすことがある

で、そこで狐に見えるのです。私は以前そういう霊を扱かった
事があります。古い本に出ているかもしれませんが、"さようで
ございます""はい"と言って、女なのですが、"オイ、そんな事
は知るもんかい"と言うのです。"貴様は狐だな、引込め引込め"
と言うと、又人間の言葉になるのです。その内に又狐が出て来
るのですが、丁度狐と人間と半々になるのです。それで龍神が
一番人間の言葉が使えないのです。ですから私に一番最初憑っ
た霊が、唸ってばかりいて口がきけなかったのですが、一月ば
かりいて人間の言葉が使えるようになったと言って非常に喜び
ましたが、そういう事がありました。ですから外国の龍神もそ
ういうようなわけです。(後略)」 
(御教え集33号 S29.4.16) 



  「稲荷を拝むことはいけない」

「(前略)稲荷を拝むと言う事は、何うして悪いかと言うと、古
い本に書いてありますが、大体稲荷と言うのは、百姓が稲を守
つて呉れと言う丈けのもので、他に何にも意味はないですよ。
だから、
稲荷と言うものは、外に祀らなければならない。田ん
ぼの一ケ所を綺麗にして、そこにお宮を作つて祀るんです。

間の家で祀るべきものではない。
人間の家に祀つて拝むと言う
と、狐は下を歩いているものです。地以下です。
狐を拝んで居
れば、霊的に地獄になつている
。狐の方で人間を拝むなら良い
が、人間が狐を拝むと言うのは、狐以下になつちやう。狐以下
の運命になるよりしようがない。


だから、狐を祀つて拝んで居れば、必ず不幸になります。と言
うのは、先にも言つたが、狐と言うのは、大体、天照大神様
が、最初日本の人口が増えるに従つて、米を沢山作らなければ
ならないと言うので、豊受明神に命じて、早く日本中に稲田を
配る様にと言うので、豊受明神が狐に命じてくわえさせて配ら
れた。だから、豊受明神と言うのは、狐に乗つて、狐が稲をく
わえているでしよう。そう言う御神体です。だから百姓は狐に
お礼を言つて、稲作を御守護して呉れと、お宮を作つてお参り
したものです。処が
狐の奴、自分の職務以外の範囲にのさばつ
て来た。と言うのは、力があるからね。中々霊力があるから
ね。
終いには、日蓮上人と仲良くなつて、日蓮宗は狐を利用し
て開いたもの
です。

そんな様にして、段々狐が一大勢力を得て来た。豊川稲荷、伏
見稲荷だとか色々出来た。狐を家の中に入れて拝むと言うの
は、地の下になる事になる。併し
無暗に帰らせたり、処分した
りすると怒ります
からね。併し、狐も色んな御利益なんか与え
るから、人間の方が乗つちやう。併しそれも一時的で、段々地
獄の方に行つちやう。だから禍がある。だから、
光明如来様を
お祀りして、少なくとも一年以上経つてから、正式にお祀りし
てお帰りを願う
野狐と違つて、伏見の稲荷は良いですからね。
解りが良いですからね。一年以上経つたらそうすれば良い。

明如来様は最高の神様だから、霊界が天国になるから、禍が来
ないで、良い事許り来る
事になる。」(御垂示録4号 S26.11.5)



 「稲荷の行者は畜生道へ堕ちる」

「 (稲荷の行者は死後狐霊の世界へ墜ちるものでせうか。)
堕ちる。生きている中に畜生に落ちている。だから行者などは
非常に不倖せが多い
病気でも変な病気になる。神経痛が多
い。水を浴びると身体中の毒が塊まる。だから行者などの身体
はコチコチに固まっている。断食、水浴びなどの行は邪道
であ
る。狐がよく憑くから、生き乍ら畜生道に堕ちる。だから本当
は邪道である。」         
(講話集補 年代不明)


「狐霊は何億もいる。日本、支那、印度、ソ連等に多いが、ヨ
ーロッパ、アフリカ等は極く少いようである。特に日本に多い
ようだ。

 狐霊などの行者は  皆畜生道に堕ちるから不幸に終るのであ
る。

 臨時に憑く狐は抜けるが、永く憑いてると人霊と一緒になっ
て畜生になってしまう。

 霊の事を知ろうとする事は、之は神が必要とされねば知る事
は出来ぬ。自然に知る機会を得るのである。敢て努力の要はな
い。又、お浄めに従事している間(ウチ)に霊的患者に遇う事があ
るから、その都度解し得る。」         
 (講話集補 S23)



 「日蓮宗の信者は全部狐が憑く」

「 日蓮---日蓮は以前も言ったとおり、畜生道に落ちて狐の親
玉になった
わけです。ですから日蓮宗の信者は全部狐が憑く
です。
それを私が日蓮上人を狐から救って人間にしたわけで
す。それで狐と言ったところでみんな人間なのです。人間が畜
生道に落ちて狐になるのです。龍神は執着によって龍神になる
し、狐は人を瞞す、嘘をつくという、それを沢山やると狐にな
るのです。」
           (御教え集33号 S29.4.17)



  「狐は天津祝詞を非常に嫌う」

狐は天津祝詞を非常に嫌う。狐でもなかなか良い狐がいる。
人間が畜生道へ堕ちてなったもの――人間の狐になったのは善
い事をする。義理人情に於ても人間以上のものがある。

 曾て狐の憑いた病人を浄めて、出た事があった。「ワシは先
へ出るから、お前は後から出るよう」と情理をつくして出た。
その後子狐のようなのが出た。

 生きてる人間にも死霊にも狐は憑く。生きた狐で、霊だけ働
くのがある。よく○○稲荷の穴の中にいるとかいう。肉体があ
るのかというと、あるというのがある。」

                   (講話集補 S23・7・9)



   「狐の生霊は、
    とても人間に憑依する」

「 (動物の生霊は人間に憑依出来ますでしょうか。)
狐の生霊など、とても人間に憑依する。狐などよく『死んでい
るのか生きているのか』と言うと  「どこそこに居る」とい
う。人間より狐の方は何でもなく憑く。
人間でも執着が強いと
憑く
。大抵若い男女とか親子である。男が惚れ女が嫌ってる
と、男が悲観しているその想念がそっくり女へ映り、憂鬱にな
る。美人などそういう生霊が多い。
そして神経衰弱のようにな
る。又妾と本妻などそうである。」 
(講話集補 年代不明) 



  「稲荷やお札の処分について」

「稲荷には祖先から祀った稲荷と、豊川、伏見など途中でお札
を受けて祀る稲荷と二つある。

 よく「御守護神を頂く」というてお札をもらうが、そのお札
に狐が憑いてくる
。つまり派遣された稲荷である。斯ういう稲
荷は元へ返せる。

 狐には役が着いている。言霊で断わって帰ってもらう。祖先
からのは祖先が稲荷になっているのがあるので、之は処分出来
ぬ。
祖先が青大将や稲荷になって守護しているからお礼を言
い、事情をいって帰ってもらう。

 ○○不動尊などは矢張り不動尊の眷族で鳥が多い。之は処分
してもよい。不動明王とて観音様の家来で、元はいいが今は堕
落した。」          
(講話集補 S23・6・27)



「 (稲荷を部屋の内に祭る事はよろしくない様に伺っておりますが、今迄部
屋の内に祭ってあった稲荷を庭に祭らせて頂く場合の方法を御教示願い申し上
げます。)

稲荷はやたらに祀りかえてはいけない。怒ってアダする事があ
る。祖先からあった稲荷は大祖先が稲荷になって守護している
のであるから、部屋の中でいい
が、中途の祖先が祀ったものは
処理した方が宜しい
。其場合、お供物を上げて今日迄の御守護
の礼をいって、今度観音様をお祭りする事となったからお帰り
願いたいと口でいう丈でよい。祝詞は天津祝詞を奏げればよ
い。」             
(講話集補 年代不明) 



 「霊視能力は憑霊の為、殆ど狐霊」

「 (心霊学者、修養団体(報恩会、奉誠会、霊友会)等の指導者の霊視能力
は憑霊のためでしょうか。)

すべて霊視能力は憑霊の為で、その殆どは狐霊である。狐が憑
ると霊が見えたり、声が聞える
のである。精神病者は右の能力
が顕著である。故に普通人がそうなる事は危険である。然し特
殊の場合、一時的に見える場合は差支えない。始終見えるのは
危い。

 精神病者がよく空間を仰視(ミツ)めているが、之は医学では幻覚
と言い、聞えるのを幻聴と言う。

 正守護神が見せる場合があり、その際狐を使う事もある。
 (狐は特殊の能力を持っているので、人間に知らす為よく守
護神や人霊に頼まれる。巫女なども大いにそれがある。狐はと
ても頭がよく、どんな事を聞いても返事する。実にうまく何で
も理屈つける
ので、限りなく喋る。喋ってる時の理屈はとても
人間も敵わぬ。こっちの話は全然聞かず、押付けるように喋る

ものである)」         (講話集補 年代不明)



  「狐霊特徴・・・
  余計な事を喋舌りたがるもの」

「 (前略)何しろ狐狸等は動物霊であるから、人間より以下であ
る。従って
之を拝んでいると四足の居所は地上であるから、
間は地の下になり、霊界では畜生道に堕ちている訳で、
霊界の
事は一切現界に映るから、
其人は地獄に堕ちているのである。
世間よく
稲荷の信者などは、必ずと言いたい程不幸な運命に陥
って了う
のは、右の理によるからである。勿論霊憑りもそうで
あって、動物の入れ物になる以上、ヤハリ畜生道に堕ち、不運
な境遇になって了うのである。


 併し乍ら同じ狐霊でも、全部が全部悪い訳ではない。稀には
好い狐もある。それらは改心した狐であって白狐である。白狐
は何れも産土神の下僕となり、神の御用に励(イソ)しんでをり、
仲々役に立つもの
である。というのは狐は霊的には種々な特徴
を有ってをり悪もそうだが善の場合も仲々力があり、好い働き
をするものである。併し神憑りにも除外例がある。それは
祖霊
又は正守護神が重要な事を人間に知らす場合、一時的に憑る事
がある。之はホンの僅かの時間と必要だけの言葉で、決して余
計な事は言わない
ものである。

茲で序だから正か邪かの判別法を教えるが、神様に関係のある
正しい言葉には無駄は決してない
。物事の急所を簡単明瞭にお
知らせなさるもの
である。故に
邪霊であれば必ず余計な事を喋
舌りたがるもの
で、よくあるノベツ幕なし立て続けに喋舌るな
どは、狐霊と思えば間違いない
。併し斯ういう場合もある。そ
れは正守護神が言葉で知らせようとする場合、狐霊は人間に憑
る事も、喋舌る事も巧いので、狐霊を使う事もあるがそういう
場合必要以外の事を喋舌り、地金を現わすから大いに注意すべ
きである。」          
(「霊憑りに就て」S26.12.5)






                                  



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