メシヤ教 岡山支部

5-B 天狗について






信仰の手引き
 はじめに---幸福を願って
第一章          
 メシヤ様の御神格
第二章           メシヤ様の御経綸
第三章           信仰の向上を図るために
第四章           浄化作用と再浄化
第五章           霊的知識を深める
第六章           正神と邪神
 1、正邪の戦い
 2、邪神について
  @ 邪神の目的と狙い
   A 邪神の手口
  B 邪神の正体
 3、悪魔の三巨頭について
 4、マッソンとフリーメーソン
 5、龍神、狐霊、天狗他
  @ 龍神について
  A 稲荷・狐霊について
  B 天狗について
 6、信徒としての姿勢
  @ 邪神への対応
 7、その他

《参考文献》
 参考文献1
 参考文献2
 参考文献3
 参考文献4
 参考文献5





               信 仰 の 手 引 き





             
 


       第六章 正 神 と 邪 神
             
  


   5、龍神、狐霊、天狗、
     その他の動物霊について
        B 天狗について

「この天狗界は現界活動である。天狗は男ばかりである。天
界、中界、下界とある。中で天狗界は中界であって、山岳地帯
にある
のである。絵で見る彼の鼻の高い顔の赤い彼である。(中
略)

 天狗中に人天、鳥天の二種がある。人天狗は神官、僧侶、学
者等がなる
のである。是等は良くも悪くもなくて天国へ登れ
ず、地獄へも行かなかった連中の為の中界で、天狗界に入った
のである。(後略)」 

         (観音講座 第四講座  天狗界 S10,8,15)



天狗界は大体、各地の山嶽地帯の霊界であって、天狗なるも
のは、それぞれの
山の守護としての役を司ってゐるのである。
又名山などで、高級な神霊を鎮祭する所では、その神霊の下に
あって、山に関する種々の業を司ってゐる。天狗界にも上中下
の各階級がある
のは勿論であり、
総主宰神は鞍馬山に鎮座まし
ます猿田彦命
である。

 天狗には、人天及び鳥天の二種がある、人天とは人霊であっ
て、現世に於て学者、文士、弁護士、教育家、神官、僧侶、昔
は武士等の天狗的職業の者が、死後天狗界に入る
のである。そ
うして
鳥天とは、鳥の霊であって、鳥は死後悉く天狗界に入る
のである。鳥天の中鷲や鷹の類は、現界と同様の威力を発揮し
て居る。以前私は小田原の道了権現の本尊が、或婦人に憑依し
たのを審神した事があったがそれは何千年前の巨大なる鷲であ
って、之は確実と思へる根拠があったのである。又烏天狗は烏
の霊であって、之は天狗界では神的行事を司り、特に神聖なる
階級とされてゐる
。戦争等の場合、産土神の出陣の時、烏の霊
が扈従(コジュウ)し、非常な働きをするそうである。又、木葉天狗
といふのは小鳥の霊であって、之は伝令等の使者の役をしてゐ
る。

 昔から、天狗を鼻高と称へ、絵画や面など非常に鼻を高くし
てゐるが、之は事実である。又赤い顔になってゐるが、
天狗に
は酒豪が多い
ので、それを表徴したものであらう。

 爰で、霊界に於ける面貌に就てかいてみよう。霊界は曩に説
いた如く
想念の世界であるから、人間の面貌は想念通りに現出
する
のである。故に、天狗の如きは高慢にして人に屈する事を
嫌ふ人士の想念がそのままの形となって表はれたもの
である。
従而、
醜悪なる想念の持主は醜悪なる面貌となり、善美な心の
持主は、善美な容貌となる
ので、実に霊界に於ける事象は、凡
て欺瞞は許されないのである。そうして死後想念が面貌へ表は
れるには数ケ月乃至一年位までとされてゐる。


 次に、天狗の生活をかいてみよう。彼等が最も好み、而も専
門的仕事としては議論を戦はす事
である。それは議論弁舌が優
越し、論戦に勝てば地位が向上する
のであるから、彼等が無上
のものとするのも当然である。故に現世に於ても代議士、弁護
士等が論戦を好みそういふ職業に従事するのは、天狗の再生又
は天狗の霊が憑依してゐるから
である。又、
議論の次に好むも
のは、碁、将棋
である。私は天狗界の将棋を教はった事があっ
たが、現界のそれとは余程異ふのである。又書画や詩文等も好
むのである。そうして
天狗界の言葉であるが、之も現世の人語
とは余程異って殆んどサシスセソの音が主で、その変化によっ
て意志を交換するのである。天狗が語る時は、上顎と口脣と舌
端と三者合致してサシスセソの音声を出しながら、上下の口脣
のみの動きによって言語の変化を表はすのである。


 又、天狗の空中飛翔は特に優れてゐて、よく子供などを拉(ラツ)
し、空中飛翔によって遠方へ連れ去る話などがあるが、之等は
事実であらう。彼の平田篤胤のかいた寅吉物語は天狗の飛翔術
が主なるものである。又、
天狗の霊は人に憑依する事を好み、
人を驚かす事を得意とする
のである。彼の牛若丸が五条の橋上
で弁慶を飜弄したり、義経となってから壇浦の合戦の時、舟か
ら舟へ飛鳥の如く乗り移ったといふ事なども、全く天狗の霊が
憑依したものであって、彼が鞍馬山に於て修行の際、猿田彦命
より優秀の天狗を守護神として差遣はされたものであらう。其
他武芸者などが山嶽修業の結果、天狗飛切の術などと称し、転
身の早業(ハヤワザ)を会得する如きは、天狗の憑依に外ならないの
である。


 次に、修験者等が深山へ入り、断食や水行等の荒行をなし、
一種の神通力又は治病力など、種々の霊力を得るといふ話がよ
くあるが、それ等も
天狗が憑依するのである。斯ういふ天狗は
一種の野心をもち、その人間を傀儡(カイライ)とし、現世に於て名
誉又は物質等を得て、大いに時めく事を望んでかかるのである
が、之等は正しい意味に於ける神憑りではないので、一時は相
当の通力を表はし、社会に喧伝せらるる事もあるが、時を経る
に従ひ、通力が薄くなったり、其人が滅びたりして大成する者
はないのである。彼の一時時めいた○○○○や○○○○及び○
○○○○の如きも、此例に漏れないのである。そうして
人間は
断食や病気等によって心身共に衰弱する時、霊が憑依し易くな
るもの
である。

 又、眼に一丁字もないやうな者が、突如として神憑りとな
り、詩文や書などを達筆に書くといふ例なども、天狗の憑依に
外ならないのである。

 又、理屈や議論を好み、横車を押したり、酒に酔ふと理屈を
言ひ出す人などよくあるが之等も天狗の憑依者
である。

 茲で、飲酒癖に就て解説してみよう。酒豪などが、何升もの
酒を短時間で飲んでしまふ事は全く不思議と思はずにはゐられ
ないのである。古から酒なら一升飲めるが水は一升飲めないと
いふ事をいふが、之は理由があるのであって、此事を私は世人
に知らしたいのである。


 酒癖の原因は、酒を好む霊が憑依し、常に腹部に蟠居して居
のである。故に酒が腹中に入るや、その霊が酒の精を吸収す
のであって、其結果、酒の体(タイ)は非常に減量するので、例
へていへば一升の酒が一合以下になるといふ訳であるから驚く
ほど多量に飲めるのである。丁度、腹中に酒を吸ふ海綿がある
やうなものである。


 そうして右の霊とは、天狗及び狸が重なるもので、稀には龍
神もある
のである。酒を飲むと理屈を云ひ、盛んに議論をした
がるのは天狗の霊
であり、又愉快になり笑ったり眠がったりす
るのは狸の霊
である−−と識るべきである。


 右の理によって、酒癖の人に対し、腹中に向って本療法を施
に於て、如何なる人と雖も酒量が減ずる
のである。それは少
量にて酔ふやうになるからで、以前五合飲んだ時の酔の程度が
一合で同じようになるのである。それは酒を吸収する霊が畏縮
するからである。之等も霊医術の特異的効果であらう。故に、

本医術の修得者は、如何に酒癖のある人と雖も漸次それが治
り、一二合以上は飲めないといふ普通人の程度になる
のであ
る。従而、本医術の治療士には酒癖の人は一人もないのであ
る。


 天狗の憑依に就て、私の経験をかいてみよう。以前私は、武
州の三峯山(ミツミネサン)へ登った事がある。其夜山頂の寺院に一泊
したが、翌朝祝詞を奏上した際、私に憑った霊があるので訊い
てみると「二百年位以前天狗界に入った霊であって、駿河国三
保神社の神官であった」そうである。何故私に憑依したかとい
ふと「或宗教書を読んで貰ひたい」といふのである。それで帰
宅後私はその宗教書を出来るだけ読んでやったが、約半年位経
って、彼は厚く礼を舒(ノ)べて帰山したのであった。


 茲で面白い事は、天狗の再生又は天狗霊の憑依者の面貌は鼻
が高いのが特徴であり、理屈っぽく自慢を言ひたがるもの
であ
る。そうして下座が嫌ひで人より上へ立ちたがり、又人の話を
聞くよりも話を聞かせたがる事を好む
のである。

 又鳥天の憑依者は、鳥の特色を表はして居るから口が尖り、
声は鳥の如き単調音にて、性質は柔順で争ひを好まないから人
に好かれる
のである。特に鳥霊の憑依者は空中飛翔の夢をよく
見るものである。」     
(明医三「天狗界」S18.10.23)



 「天狗は霊力が強く威張りたがる」

「(前略)狸霊や天狗の霊は大した事もないが、只天狗は霊力が
強いのと、学問のあるのが多い
ので、彼等の中の野心家はそう
いう人間を掴えて躍らせ、世間に名声を博し、出世をさせて大
いに威張りたがる。其様な訳で天狗の霊憑りは、昔から禅僧、
学者、宗教の創立者などに多く、永続きする者は至って少ない

のである。(後略)」     (「霊憑りに就て」S26.12.5)



 「天狗・・・負けるのが嫌い、
    横車を押したり、口論する」

「(前略)男で、威張つたりするのは天狗ですよ。こう見て居れ
ば間違ない。議会なんかで、色々議論したりしますが、あれは
天狗ですからね。
天狗と言うのは、負けるのが嫌ですからね。
言い出したら通そうとする議員だとか学者や弁護士だとか、
ああ言うのは天狗が多い
んです。横車を押したり、人に議論し
たりするのは、天狗に限る
んです。何しろ天狗と言うのは問答
が好きでして、天狗は問答して勝つたのが、位が上つていく

ですから、議論して勝とうとしますね。みんな天狗ですよ。そ
れは天狗も良い働きをしますよ。だから悪くはとれないんです
が、然し余計な手数を掛ける丈のもので、天狗でも智慧のある
のは良いですが、余り智慧のないのは困るんですよ。年中争つ
たり――
口争いですがね。人の感情を害したり、物事を捗らせ
なかつたり、そう言う事がありますから
ね。こう言う、天狗の
憑いている人でも、段々神様の事が分れば、自分の欠点が分つ
て来ますから良い訳ですが、そう言う様に、大体参考にすれば
良いですね。」      
 (御教え集9号  昭和27年4月6日)




  「天狗は高慢、己惚れが強い」

「天狗は高慢、己惚れで現世でそういふ人々は天狗界へ行きま
す。
職業的には弁護士、学者、神官、僧侶等です。天狗になる
事は悪いとかいゝとかではない。天狗界は中有界の少しいゝ所
で第三天国の下に当り山の守護を任として
居ります。従って之
は地獄、極楽とも異り別世界です。現界でもよく天狗の人がゐ
るが、之は一寸始末が悪い。(後略)」

                            (御光話録  昭和23年9月18日)



            C その他

  「稲荷や龍神の祀り方について」

「 (霊的な浄化の場合、其の霊を祭ってやった方がよいでしょうか。もし祭るとしたら其の方法は如何にすべきでしょうか。)  
             (注)人霊の場合、動物霊の場合。
祀る要のない場合と、祀った方がよい場合とある。他人の場合でも差支えない。多いのは狐とか蛇で、之はお宮を作り外へ祀る稲荷を家へ祀るとその人は必ず不仕合せになる。狐は家へ住んでいるものでない。家へ祀ると霊界では地面になる。そして人間は地面の下になる。即ち地獄になるから必ず碌な事はない。動物を祀ると動物以下になる。向きは光明如来様に向ける。すると御光に始終照される。人間が座敷に座るより高くてはいけない。風が吹くと倒れるから、石を宮の通りにクリ抜いて入れておく。名前をつけなくてはいけない。白木の戒名のような恰好にする。○○明神とかく。その家の名でもよい。

 稲荷なら○○稲荷大明神とする。土地の名でよい。
 龍神の場合は○○明神とする。○○大明神か。日を決めて祀る。
 人間に憑いてる霊と、ちょいちょい憑いてるのとあるが「お宮へ祀り込むから」と言ってやってもよい。鎮魂形式でもよい。右の拇指を左の拇指で制える
 龍神の場合は、生米や塩、水、又生魚も好きである。其他野菜、果実等自由である。
 狐は、お米や水は要らない。強飯とか油揚、天ぷら等が好きである。

 光明如来様のお祭りがすんで後でいい。外のない場合は床の間でいい。床の間の脇の方へ台を作る。龍神の場合は池を掘る。水を絶やさぬようにする。丼よりは池を掘った方がよい。

 先に女将で、急にブッ倒れ「お前等だけ綺麗な家へ住んでいて、ワシは煤だらけの所へ住んでいる。ホッておくと承知しない」という。行ってみると奥さんは目をつむって寝ている。それでよく掃除するよう言った。私が祀ってやった宮は煤だらけになっている。石の宮で戸がなかった。之は祖先の霊である。
 龍神が修業がすんで昇天したい場合とすれば、お宮は撤去してよい。」              (講話集補 年代不明) 






                                  



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